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70台は未だ若い2009/02/05

河津桜
きょうは天城手前の観音山にハイキングに行ってきました。
途中、バスの車窓から見た河津川沿いの桜は未だ4分から5分くらいでした。来週あたりから見ごろになるでしょう。

一方、我が稲取文化公園のサクラは九分どおり咲いています。
つるし雛のメーン会場入り口にある河津桜が一番立派で、1月中にも一輪また一輪と開き始めていたのが、2月に入って一気に咲き出しました。以下は一昨日訪ねたときのお話です。

足湯のおばちゃん
屋内の足湯に先客3人。そのうちの一人のおばちゃんが奥のほうでニコニコして向かえてくれたので、その横に席をとりました。

「きのう河津へ行ってきたけど、まだだったね、サクラは」
私どもも、先週の金曜日に河津川の遊歩道を歩いて知っていました。

「じゃあ、あそこのマンションかね?」
どこから来たかというから、消防署の隣だと言ったら、そう言うのです。先週、女房殿がつるし雛のお店のひとつに顔を出したとき、私どものマンションの建設についてはだいぶ物議をかもしたという話をそこのおばさんから聞いてきました。何があったのか分かりませんが、とにかくみなさんこのマンションをご存知です。

「お宅のマンションの坂を下りたところにサクラがあるよね。あれは早咲きなんだよ」
そのとおりです。よくご存知です。

「いくらしたかね?」
ドキリ!いきなり訊いてきました。私たちには安物しか買えないからと言ったら、追求の手を緩めてくれました。そこで私のほうから、もともとこの土地の人かと訊いたら、福島のどこそこ(聞いた地名を忘れました)から、嫁に来たと言います。どんな縁だったのかは、この次に会ったら聞くことにして、河津で会ったおばあさんが青森から来たと言ってましたので、その話をすると、そのことは聞いたことがあるといいます。

「この稲取にも青森から来た人がいるけど、この人たちは夫婦で共にやってきてね、銀水荘で働いて、家を建てちゃった。退職金をたくさんもらったからよ」
おばちゃんはこの上の中学校のそばに住んでいるそうです。ときどきヤオハンで買い物したあと、この足湯に寄ると言ってましたから、またお話が聞けそうです。まだ73歳、元気なオバチャンです。

稲取港のおじさん
帰りに、戻ってきた漁船をいつものように眺めます。
赤いキンメが船底から次から次へと出てきます。陸(おか)で若衆が一人、車で乗り付けてきて、そのかごを幾つか引き取ると、車に乗って市場のほうへ向かいました。

船にはおじさんが一人だけ。無線で何やら長々としゃべり終わると、糸に赤いものを付け始めました。次の漁の準備を始めたようです。
「キンメは赤いのが好きなんだ。食紅を塗るんじゃなく摺り込んで染めるのさ」
一本の糸に50針、それを二本用意するのだそうです。全部うまくいって100匹、大変な数です。

「きょうの水揚げはどうですか?」
「良かないね。60キロかな」
息子さんは跡を継がないそうで、漁は一人でやっているとのこと。まもなく隣に入ってくる船は親子二人だそうです。うらやましいんでしょうね。女房殿が、一人でいいカセギじゃないかと言うと、漁師の取り分は知れたもんで、徳造丸なんかにもっと高く買えと言ってるけど、聞いちゃくれないと言います。

お歳を聞くと、昭和13年生まれ。私どもより二つ先輩です。きょうは遅くなって夜中の2時に出たそうです。今はもう午後2時をまわっているので、丸半日は海の上です。
「いつまでも仕事ができるのは幸せですよ」
「カアチャンもね、無理しなくたっていいって言うけどね。実際は一日でも多く仕事に出したいんだよ。女はみんなそうさ」
それを聞いて、私はこのおじさんが好きになりました。

それから、船のスピードは20ノットで、隣の船は新しくて4,500万円、倍の40ノットは出るとのことでした。

とにかく、いまどきの70代は元気です。私どもも来年は共に70に突入です。

テトラポット2009/02/08

稲取漁港
私たちが最初に稲取を訪ねたときは未だ暑さが残る9月の中旬のことでした。この写真はこのとき撮ったものです。この日は別のマンションを下見に来たのですが、その2週間後に再訪して下見し、契約したマンションが、偶然にもこの写真に写っているのを後で発見して驚いたものです。

ところで、11月に当地へ引っ越してきたときには、この写真の空き地の部分に大きなテトラポットが積み重ねられていました。習志野の茜浜の岸壁に積み重ねられたテトラとは大きさが何倍も違います。

それでまだ、製造もこの場所で行われていました。大きなテトラポットの鋳型の中に生コンを注入して造ります。この鋳型を組み立てたり、外して製品のテトラポットを取り出すときの、ボルトを締めたり外したりする金属性の音が、その後も確か年末まで続いておりました。

それがいつの間にか、向かいの一番奥の防波堤の裏に移されていました。女房殿が港を出入りする漁船を眺めていて見つけたのです。やっと空き地が戻りました。この空き地は役場の真ん前にあり、もちろん、夕涼みができる海に面した絶好の場所です。夏は盆踊りでも出来るほどの広さがあります。彼女は習志野にいたときには、盆踊りがあると聞けば南に走り、北にあると聞けば訪れて踊りまくっておりました。もし、その会場がこの場所に出来たら、彼女はきっと踊り狂うことになるでしょう。早く夏が来ればいいな!

下田2009/02/09

寝姿山
転居するとなると、いろいろ手続きがあって大変です。仕事を持っていたら尚更のこと、時間や気をつかうことがたくさんあります。私たちは充分な時間の余裕を持たせて周到に準備したつもりでしたが、それでも手抜かりがあれこれありました。

当地に移ってきて最初に顔を出したのは、歩いて10分の東伊豆町役場でした。午後とはいえ、広いオフィスは大勢の係りの人ばかりで、訪れた人は他に一人しかおりませんでした。習志野市役所に転出届を出しに行ったときのことを思うと、雲泥の差です。待たされると血が上ってくる私にはもちろん都合のよいことですが、拍子抜けがいたしました。

ところで、手続きの一切は役場だけでは終わりません。他に免許証の住所変更をしなくてはなりません。ところが、警察署がここにはないのです。交番が、いつもヤオハンへ歩いて通うバス通りにひとつあるだけです。インターネットで調べたら、警察署は下田にありました。その他、税金や登記関係で法務局を探したら、その出張所がやはり下田にありました。

下田へは去年、一段落してから二人で行ってきました。電車に乗って20分ですから、いつでも気楽にゆけます。結局、手続きの用で二度往復しました。

最初に下田を訪ねたときは、用を済ませてから寝姿山に登りました。ロープウエイで展望台に上がったのは何年ぶりだったでしょうか。子供たちとジジババが一緒でした。今回はリトルエンゼルとブルーエンゼルがちょうど花盛りのときでしたので、観賞して歩き回ることができました。

二度目は用済み後、下田開国博物館に寄り、吉田松陰関係の歴史を見て周り、ペリーロードを散策してまいりました。下田はまだまだ観光所がたくさんあります。これからが楽しみです。

港の朝市2009/02/10

朝市の風景
朝市と言えば、道端に積み上げた品物を前にして、売り手のお婆さんから値切って買うという印象が私にはありますが、ここ港の朝市は役場の隣の立派なビルの中で開かれます。この場所は普段は駐車場として使われており、かなり広いスペースがあります。

去年の12月初めに散歩に出たとき、たまたまこの一角が賑やかなので覗いてみたところ、朝市だったのです。なかなか活気があって、取引も盛んです。ただし、その日、私たちはお金を持たない散歩でしたので、見てまわっただけでした。

獲れたての魚が触れ込みですが、野菜・果物も並んでいます。お菓子類まであったので驚きました。でも、女房殿の話では、それほど安くはないということです。やはり、観光客相手なのかな、という思いがしないでもないです。

開催は土、日、祝祭日で、午前中のみです。その後も気にかけてはいたものの、今日まで足が向いていません。いつかまた覗いてみたいと思っています。

オバチャンと仲良しになれそうだ2009/02/11

オバチャンがくれた草履
文化公園の足湯で、またまたオバチャンとお話ができました。ニコニコ顔のオバチャンとは一週間ぶりです。この前、女房殿が小さなお守りのような草履を、この方からもらって喜んでいました。その草履をまた呉れたのです。見ていると巾着袋に幾つも収めていて、気に入った人に分けてあげているようです。

オバチャンは河津の山の中から稲取に嫁に来たそうです。もう50年は超えているとのことですが、歳が81と言ってましたから、60年は経っているのではないでしょうかね。今は二人の孫も二十歳を過ぎていると言います。嫁さんが何でもよくしてくれて、朝は6時半の食事、昼は11時には用意ができており、食べてからここへ来るのだそうです。家に居ても何にもすることがないから、ここへ来て顔見知りの人と話をするのが楽しみだと言ってました。

私たちが「岬の館」へ寄るつもりだと言いましたら、家がそちらの方だからというので、湯から一緒に上がり連れ立って歩きました。さすがに地元の裏道はよくご存知で、私たちには新しい発見の連続でした。海苔を干しているおばさんに声をかけたり、畑仕事をしているおじいさんに無造作に話しかけたり、屈託のないところがいいですね。

それにしても足腰の達者な人で、階段や坂道を迂回するどころか、すすんで上がってゆくのには驚きました。さすがに急なのぼりの連続したところでは、多少、息が切れるのを押さえているようでした。けれども、どんつく神社からの急な下りは軽快そのもの、バランスの良さには舌を巻きました。これで81歳のお婆さんとはとても言えません。私が“オバチャン”と、呼びかけているのも決して不似合いではないのです。

もうひとつ、この土地のお婆さんは腰が曲がっている人が多いのですが、この方はまっすぐピンと張っています。実は、伊藤園ホテルの前身の、何とかというホテルで長年働いてきたのだそうです。野良仕事ではなかったのです。

伊藤園ホテルの脇を歩きながら、そんな話をしてくれました。また来週お会いしましょう。