<><><><><><><><><><><><><><><><><><>

下田富士2010/11/01

稲生沢川と下田富士


一週間に2度も蓮台寺へ行くことになったのは、先に買っておいたDVDの円盤が用をなさなかったからです。円盤の表面に直接印刷できるタイプを買ったつもりが、ラベル貼付用のだったのです。表面にマジックペンで手書きするのも味気ないので、もう一度出向いたしだいです。

蓮台寺駅で電車を降りて金谷旅館の前を通り、その先の稲生沢川に沿った道をのんびりと20分ほどで家電販売店のエイデンに到着です。途中、稲生沢川に出たところでは釣り人が2,3人糸を垂れていました。正面には三角オムスビのような恰好の良い山が見えています。下田富士と言うのだそうです。

何でも階段をたくさん上がった頂上に祠があるんだそうです。わが天王様の石段が148段ですから、仰ぎ見る下田富士は500段を優に越えそうです。一度、何段あるか数えてきましょう。



伊東港2010/11/03


風も穏やかな秋晴れの今日は文化の日。こんな好日に家の中に閉じこもっている手はないと、急遽、伊東へ出ることにしました。

急に出かけることにしたので、特に目的はありません。伊東のどこかを歩ければ良いというわけで、ネットで見かけた松川遊歩道から渚公園・伊東港をぶらつくことにしました。

伊東駅からお土産店や食堂街を抜け、大川端に出て川沿いの遊歩道を海へ向かいます。先ず”東海館”という、櫓のある古い旅館が目につきました。大正ロマンを感じさせる佇まいです。

松川遊歩道


通りがかった人に聞くと、今は営業していないと言います。その隣にも古い旅館があり、こちらのほうは京都の某が買い取ったとのこと。とにかく、この川べりには趣きのある旅館や寮がいくつかありました。


先ほどの通りがかりの人の話では、サクラの季節には賑わうということでしたが、桜の木はところどころにしか目にしませんでした。もっとも、柳の木が並んでいることもあって、風情が感じ取れる遊歩道であることには変わりありません。


途中、川べりに下りると、マガモやカルガモ、それにユリカモメがたむろしていました。アオサギが近寄っても、びくともしなかったのには驚きました。目の前に見ると、さすがに大きな鳥だということがわかります。

アオサギ


国道135に出る手前にウイリアム・アダムス(三浦按針)のモニュメントがありました。徳川家康の命により彼の指導のもとで、この地に日本で初めての造船所が造られ、大型帆船が築造されたそうです。


伊東港に出ると、広大な漁港に目を見張りました。船の繋留場所はあちこちにあり、余裕は十分です。あるエリアでは数艘の漁船がすべて釣り船で、そのうちの三艘はうちの船だと教えてくれた若者がいました。きょうはもう既に漁から引き上げた後だそうです。


戻ってきた漁船が先ず製氷所に寄って氷を載せます。水際にある工場から大きな管を通って船に積み込まれていました。稲取漁港とはずいぶん規模が違う良く整備された漁港です。

氷を受け取る漁船


防波堤や突堤には大勢の釣り人が海へ長い糸を垂れていました。私たちは近くの“あおきフード”店で買い込んできたお弁当を真ん中の突堤で食べることにしました。その間にも漁船が港に出入りしています。(つづく)



なぎさ公園2010/11/04

伊東港


その後、渚公園に回ると、広い芝生の各所に彫像作品が展示されていました。地元彫刻家の重岡建治さんの作品だそうです。お弁当を広げるには堤防よりもこちらのほうが良かったと思うほどです。


作品を一つ一つ見て回ってから、今度はバスに乗って川奈のスーパーを訪ねます。先ほどの松川遊歩道を戻って、その先から折りよく来たバスに乗り込みました。


目指すはデュオ(アピタ)。実は新聞の折込広告によく入ってくるので、どんな店かと前から気になっていたのです。城星というバス停で下りるとすぐ目の前にありました。


ここはショッピングモールのような大型店で、広い駐車場を完備しています。大勢の客の姿がありました。下田の東急よりは規模が大きく、稲取からはここが一番大きい規模のスーパーのようです。

川奈の京葉D2に一度来たことがありますが、そこから目と鼻の近さにあることが分かりました。帰りは徒歩で川奈駅まで殆どが下り坂の楽な道でした。




稲刈り2010/11/05

稲刈り


志津摩の“うわん丈”さんの田圃では上の段の稲刈りが進んでいます。下の段の“はざがけ”から数日が経ちました。稲刈りは今日のような汗ばむほどの秋晴れのもとでするのが一番ですね。ただ、秋も深まったせいで、汗まみれになって働く、ある種の躍動感が伝わってこないのは残念です。

ところで、稲を刈ったあとの田圃が青いのは意外でした。私のイメージでは干上がった土の上に切り株が点々とつづくというものでしたが、見識不足かな?


遊歩道から踏み切りを渡る前に、久しぶりに徳造丸の会長さんの野良姿を見つけました。先の台風で総倒しになったオリーブの木が一部根付いておらず、今回の台風でまた倒れたとのこと。でも、全然、困った風ではありません。

たまたま目にした沖のほうで一艘の船が水しぶきを上げています。クレーンを載せていますので、網を上げているのかなと思ったら、会長さんは、あれはエンジンの煙が風に煽られたのだろうと言います。定置網を修理しているのかな、と。

ついでに、網起しをして魚を取り上げることを“網を締める”と言い、その道具が“タマ”だそうです。昔、北川の定置網ではブリが良く獲れたと言います。今読んでいる「東伊豆町誌」にも、北川のブリの定置網漁のことが載っていました。

いつもは質問ばかりしている私に、会長さんは「こちらに越してきて一番印象に残ったのは何かな?」と逆に訊いてきました。突然でしたので、山歩きの好きな私はとっさに三筋山と答えたのでした。

しかし、本当のところは朝な夕なに目に出来る稲取漁港ではないかと、帰りの道すがら思ったことでした。今では当たり前の風景ですが、これを目にすることが出来なくなったら、どんなに寂しい思いをすることでしょう。何故なら、朝夕だけではなく夜トイレで起きたときにも、港を見下ろしては度々安らぎを得ているのですから。




ミカンの里2010/11/06


ミカン畑


洞川と大川が交わる辺りは緩い南斜面で、大きな窪地になっています。下は中川、田の上、上が大洞、平並といったところでしょうか。この緑地帯は私にとってまさに“我が谷”で映画「我が谷は緑なりき」の郷愁に通じるものがあります。

この我が谷ではミカンがようやく色づいてきて、一部では収穫が始まっています。一望閣から長坂を行かず、その玄関先を回りこんで“我が谷”の縁に沿って上がってゆくと、水生の庄を仰ぎ見るポイントに出ます。この辺りは洞川と大川との三角デルタ地帯のような場所で、日当たりの良い場所です。ここでも収穫中の3人の姿がありました。

しばし佇んでこの緑の谷をながめていると、楽園の中にいるようなほのぼのとした幸せを感じるのです。