初詣 ― 2013/01/01
歩き初め ― 2013/01/04
今年の初歩きは浅間山です。去年もそうだったかな?朝9時半スタートの12時帰着。
先ずは「ふれあいの森」に上がって景色を楽しみます。ブランコ・シーソー台のあるエリアに去年手が入って、見違えるように公園らしくなりました。特に、海側の不要な立木が伐採され景観が一段と良くなりました。
小鳥のランドマークの中を走るクロカンコースでは4人連れ一組がウォ―キング。クロカンコース入口の駐車場には10数台の車があり、相変わらずの人気です。
保育園の脇を通って「3号井配水場」へ上がる手前に「まゆみ」が赤い実を未だ付けていました。冬枯れに赤い実はアクセントがよく効いています。それから風車の丘へ上がると、大島の左に房総の低い山並みが見えました。
先ずは岩穴の浅間さんに参拝
天城連山のほうはときどき少し雲がかかっていますが、今日は風が穏やかで、いつまでも見飽きない光景です。
浅間山の山頂は今年3月22日まで工事が入っています。期間中は立ち入り禁止です。立て看板によると、「H23消防防災通信基盤整備事業」のための、「浅間山中継局舎建設工事」で、鉄塔も建つようです。あの、去年、どこかの自治体の防災訓練でうまくゆかなかった“あれ”ですかね。
帰りはゴルフ場の脇に出てぐるっとひとまわり。やっと五日ぶりに歩くことが出来て今日は爽快感いっぱいでした。
神福竹 ― 2013/01/05
しまった!きょうだったか!
急いでテングサ計量所前に降りたら、笹枝がひとつ転がっているだけ。それじゃあ、ジューオーバレー(十王堂払い)の賽の神様に飾ってあるかも知れない、と気を取り直して歩き出しました。
「神福竹は1月5日に決まっているじゃんか!」
管理人さんの太鼓腹から出る太い声がまだ頭にガンガン響いているなか、役場倉庫を回り込んだら、おう!アラシク(新宿)から出てきたではありませんか!
おそろいの法被姿がムカデのようにぞろぞろと、龍のような――いや今年はヘビ年でした――ながあーい撚り縄を担いで。
あっちふらふらこっちふらふらしながら、ところどころで電柱などに神福竹の根元の方をドシンとぶつけています。まるで酔っ払いのようです。じっと見ていたら役場を一周して戻ってきました。
そのあとは待っていた人たちが手際よく鳥居に尻尾を結び付けて神福竹を横たえ一連の行事を終えました。ご苦労さまでした。神福竹は後のどんどん焼きの芯になって燃やされ稲取向井地区を守ります。
きょうの散歩はこのあと、馬道を通り二つ掘りに出て愛宕神社に初詣で。ついでにヤブを払って神社裏の愛宕山の最も高い部分に立ち、尚も北側に進んだら、丈の高いミカンの林の一角に出ました。あの石切り場の上に出たようです。深追いはしませんでしたが。
次に山神社の長い石段を駆けあがって初詣。これで今年も稲取5大神社初詣完了です。
神福竹 東町2013年 ― 2013/01/06
オレンジクッキーさんのブログ「東伊豆生活」に、三筋山に今月7日から工事が入る、と書いてあるのを読んで快晴のきょう三筋山を歩いてきました。で、その前にmonmaさんから東町の神福竹づくりが今朝あるとの情報をいただき、途中、寄って参りました。
きょうは東町の神福竹のご報告です。ただし、相変わらず中途半端な取材で、現地で生のお話は聞くことができませんでした。先ず区長さんらしい方はおよそ見当がつきましたが、どの方が“うどんげ”さんなのか、結局挨拶も出来ず、ハイキャットの撮影が入っていたこともあって遠慮が先に立ちました。
それから、近くの賽の神様のところで近所の方にお話を聞くことが出来たのは幸いでした。ひとつは出来上がった神福竹は車ではなく、やはり担いで木遣を唄いながら東町に移動するということ。もうひとつは、入谷には神福竹の風習はないということでした。
何故入谷にないのかと考えたとき、実はたった今、2年前の自分のブログを読んで理由が分かったのは汗顔の至りです。金指徹著「稲取風土記」から次の記事を引用していました。
「稲取の神福竹は当初漁師による姫(弟橘姫))の供養祭祀として始まり、古くて利用できなくなった漁具等の感謝供養をして共に燃やして、海中から姫を迎える『迎え火』として行われてきたといわれています」
そんなわけで30分ほどお邪魔したあと、三筋山へ向かったのでした。
神福竹の保管場所 ― 2013/01/07
役場前では用済みの松飾りが早くも広場の一角を占めていました。先ずは“じゅーどーばれー”の田町地区の神福竹に挨拶。田町は一体だけなのですね。
そして三島神社の石段を上がると、いつぞや拝見したのと同じように拝殿の中に頭を置き、尻尾は2体とも立木に掛けてありました。
八幡神社では天神社の脇に置かれていました。やはり想像していた通り、入谷からここに運ばれたのでした。ここも2体です。
八幡神社では絵馬殿が一般に開放されているようなので、中に入って見学して参りました。絵馬の一つは極楽鳥?の船に乗った貴人と海上の生き物たちとの交流を描いたもの???
もう一つは大正7年7月のマグロ漁の様子が描かれています。それから1メートルくらいの背の高さの3神像?は寄木造りの黒く塗られたもので、いずれも専門家の見解を聞きたいものです。
今日はこのあと、“はなれ”の磯の渡り初め。上げ潮でしたが、波は比較的穏やかで先端の岩に立つことが出来ました。例のポットホールの中の転石は心なしか少し動いたかと思われました。
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