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古屋手芸店2014/08/01



古屋よ志子さんは飯田家13人兄弟の12番目に生まれ、上野の学校で手芸を学び、稲取で手芸店を営むと同時に手芸教室を開いて多くの若い人たちを育てました。また小学校で代用教員として教鞭を執った経験もあります。ご主人は教育長を9年間務めた古屋与詩雄さんです。

 

今朝はお店の前の縁台で涼んでいるところに通りかかり、少しお話を伺うチャンスがありました。お店の中は手芸用品やご本人の作品でいっぱいです。最初に案内して見せていただいたのは「かがみ獅子」。芸術品とも云えるプロの作品です。しかし、今は「こんなものしかできないわ」と言って、店の奥から手提げを出してきて見せてくれました。カラフルな紐を使って編んだものです。一見してやはり売り物に充分耐える仕上がりです。

 

この春には下田市民文化会館で偶然お会いしました。この時は「静かな落日」という題の広津家三代が演じられた芝居でした。よ志子さんは自ら手芸品を作り、観劇もするインテリおばあさんです。「稲取七百五十一番地」という家族の歴史をまとめて出版した飯田照男さんは飯田家五男のお兄さんですが、その本について掘り下げ方が足りないと、冷めた批評をしていました。昭和6年1月生まれですから、現在83歳。お歳を感じさせない、頭脳明晰な可愛いおばあさん、いや、ご婦人です。
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伊豆33観音巡り2の12014/08/02

ネムの花
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蓮台寺駅前
蓮台寺駅でバス待ちをしている間に気が付いたのがネムノキの花。全体には控えめだが、近づいてみると、まるで美女が睫毛を誇らしげにした、或いはうっとりと夢見ている風情だ。このあと松崎街道のそこかしこでバスの車窓から見ることになる。

 

バスが松崎の中心街に近づく頃、三余荘ユースホステル前で下車する。ここで西法寺の御朱印が頂ける。ここは松崎三聖人の一人、土屋三余が三余塾を開いた所だそうで、立派な門構えである。中に入ると、すぐ右手の2階建てがユースホステルなのだろう。正面にお屋敷があり、中庭の庭園とつり合いがとれていた。

 

土屋家の老齢のご当主から御朱印を頂き、西法寺の戸が開いていることを確認。少し東へ戻った小路から巡礼を始める。途中、仲神社に参拝。掘割の沢の両側には民家が点在し、静かな村内に入った趣きである。所々に案内標柱が立っているので迷わずに3番札所西法寺に到着できた。

 

山門の右前に立つ六地蔵に挨拶して境内に入る。お堂は雨戸が少し開いて内側の障子戸が閉まっていたが、開けて中へ。正面奥の板間に回り込んで、先ずは阿弥陀三尊像と脇侍の二天立像を確認したが、暗くてよく分からなかった。

 

お坊さんが座る席の後ろに立って手を併せ、覚えたての般若心経を納経。ただし、半分も暗誦しないうちに言葉が出て来なくなった。夕べ復唱を繰り返して何とか暗誦できたのに、にわか仕込みでは現場でうまくゆかないものだ。やはり、経本が必要だ。

 

かくして3番札所を辞し、バス道路に出て松崎の中心街へ向かう。道路沿いには青々とした田圃が広がって気持ちが良い。或る区画ではオバサンが“完全武装”で水田の中の雑草を引き抜くのに余念がない。またその先では道路上から何かを投げつけている姿が見えた。

 

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近寄ると、水田の中のアイガモにエサを与えているのだった。未だ子どものような小さなアイガモが餌につられて一斉に移動している。20匹くらいはいるようだ。エサを与えている子連れの若い女性の話しでは、この水田は向かいの桜田温泉・山芳園の田圃とのこと。ナマコ壁が美しい旅館だ。自由に見学してください、と云われた。

 

エサは麦を押しつぶしたものだと言うので、麦ごはんに入れるオオムギだと思われる。アイガモは自家の水田用に購入したものだそうだ。言うまでもなく雑草や害虫駆除に役立たせているわけだが、だいたい2か月ほど働いてもらい、シーズンが終われば食肉に供される運命だと言う。

 

さて、先を急ぐ。次は第4番円通寺の御朱印をあらかじめ頂くため、禅海寺へと向かう。途中農家の方に道を訊き、松崎高校に寄ることにした。知人から頼まれた写真を撮るためである。裏門から入り、随所から何枚か写真を撮った。正門から出て振り返ると、左右の男女の白い彫像が迎えてくれていた。尚、左の門柱には「静岡県立東部特別支援学校松崎分校」、右は「静岡県立松崎高等学校」と書かれていた。(つづく)
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池尻海岸から稲取岬巡回2014/08/03

池尻海岸から“はなれ”を周ってみました。灯台がある稲取岬を南から北へ磯回りです。今年初めてですから、ずいぶんご無沙汰しました。去年は特に夏のシーズンなど、毎週のように通っていました。今朝はちょっと気を引き締めて、いざ、Go!

 

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池尻海岸ではお客様の入場者数がいまいち。やはり、台風接近のためでしょうか。ウキウキビーチは開設されていませんでした。プールもほんの数人。プールサイドでは指導者たちが先導して、子どもたちによるゴミ集めが行われたようです。

 

さて、休業・廃業(?)中の稲取観光ホテルの前を通ってスタート。今朝は空気が透き通って、大島がくっきりと浮かんでいます。

 

足もとを濡らさないで”はなれ”へゆくには、この左側の壁をへつらなければなりません。はなれ南側は”へつり”箇所が2か所ありますが、そう難しいわけではありません。北アルプスの縦走の経験がある人でしたら、楽に通過できるでしょう。

 

今回は”はなれ”先端は遠慮しました。
”はなれ”基部の窓から北側の岩礁を遠望。

 

こちらは”はなれ”基部を回り込んだ”小池”の上から撮影。 はなれ北側のへつり箇所はこの小池の左側の壁だけです。なお、引き潮のときは北も南側も壁をヘツル必要がなく、殆ど足を濡らさないで歩けます。

 

ようやく”カグラ岩”がみえてきました。ホテル「浜の湯」の前で磯から離れます。今年初めての稲取岬の磯回り無事完歩。


伊豆33観音巡り2の22014/08/04

時刻は10時少し過ぎ。取りあえず禅海寺へ向かう。枝道に目をくれず、道なりにゆくと案内標があって場所は直ぐに解った。山を背景にした堂々たるお寺である。民家の建てこんだ細長い参道には車が並んでいる。寺の境内では収まらない数台の車。さてはと思ったら、やっぱり、法事の最中だった。

 

それでも庫裏の方の玄関で声を掛けたら、奥さまが出てこられて気軽に御朱印を引き受けてくださった。この寺は伊豆88か所の札所にもなっている。その節はまたあらためて伺う旨を申し上げて辞した。円通寺は無住だが、子どもたち向けの塾があって、その先生がいるはずだから、本堂の拝観は出来るとのことだった。

 

元の道に戻って136号線(彫刻ライン)に出る。ここは松崎の中心街である。気が付けば日差しが強い。日傘がほしくなった。どこかにあるだろうと、先ずはセイジョーに入ってみた。しかし、ここには無く、次に「うすい」に入ったら、有難いことに入口にたくさん並んでいた。その中で銀のコーティングのものを買う。999円也。使ってみると先ず先ず。

 

さて、昼食は次の訪問を終えてからということにして、宮の前橋を渡り彫刻ラインをゆく。日傘が手に入ったのでのんびり歩ける。

 

先ず目に入ったのが「牛原山町民の森入口」の大きな看板だった。その裏が伊那上神社。縁起によれば、三島大明神、三島宮、または仲神社とも呼ばれていたらしい。先ほど那珂で西法寺に詣でる前に参拝した仲神社はこの系統なのだろう。創建は不明で、頼朝と縁がある神社らしい。どなたかが彫刻した数体の作品が印象に残った。

 

伊那上神社の参拝後、ナマコ壁の手前の細い道に入り、やがて山の手側へ広く拓けた畑中の道をゆくことになる。円通寺は立派な山門をくぐり、石段を上がって境内に入った。本堂は閉まっていたが、庫裏のほうの玄関で案内を請うと、塾の先生が顔を出して本堂のカギを解いてくれた。

 

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本堂に上って先ずは拝礼してから、奥に入って仏像に拝謁する。ここでも聖観音像を良く拝観出来なかった。素人には仏像の観察鑑賞は無理に思える。しかし、幸いに頼朝と文覚上人の像は拝観出来た。特に文覚上人の黒い坐像の精悍な顔と鋭い目つきが、頼朝に源氏再興を勧めたという史実を裏付けている気がした。

 

円通寺の山門を後にしてすぐ、「牛原山麓遊歩道」の袖看板が先ほどの遊歩道入り口の方を指し示していた。それから彫刻ラインの方角(西)へ直接向かう道を辿って間もなく、袖看板の「絹の道」が山側の方角を示していた。その向かいに立つ大きな看板に所要時間が書いてある。

 

文覚上人と頼朝の像は元は相生堂にあったということだが、そのお堂までの所要時間は10分となっている。ただちにこの道をゆくことにした。しかし、この大きな案内板は実は「絹の道」の案内ではなく、相生堂跡から浄泉寺や長八美術館を辿る観光コースだった。「絹の道」は標高236mの牛原山を越して、金沢地区に下りるハイキング道だったのに、深く考えもせずこの道に順ったがため、あとで苦しい時間を過ごすことになってしまったのである。(つづく)


一望閣2014/08/05

ご存知、一望閣。
営業撤退から何年になるのでしょうか?管財関係はどうなっているのでしょうか?いつまでこの状態が続くのでしょうか?町当局はどう対処しているのでしょうか?

 

「小麦田の上」のちょっとした台地に建つこの一望閣は名前の通り、港を始め、稲取の街を俯瞰できるビューポイントにあります。特に、東田の上や中川の畑あたりから仰ぎ見ると、その雄姿たるや夢の城のようでさえあります。

 

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それが今、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の影が漂っている城に成り果てているとしたら、まことに嘆かわしい存在です。以前から気になっていましたが、玄関脇の一画に大小の白物家電が捨てられて、ゴミの山になりつつあります。冷蔵庫、テレビ、エアコン・・・。いったい、どんな人種がここへ捨ててゆくのでしょうか?
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各種の文化、スポーツ関係で利用したいフロアを探しあぐねている人たちがたくさん居るというのに、この空き家、無住の建物の存在をいつまでも放置しておくのは如何なものか?