<><><><><><><><><><><><><><><><><><>

ハウスの主は今2014/08/22

稲取の街
<スクモ塚下から稲取の街を望む 正面の大島には雲が>

田代の台地に上がったら、ハウスの前で草むしりしているご婦人がいました。今日は午後から曇り空でだいぶ過ごしやすくなりましたが、午前中の炎天下でのことです。

この場所は毎年スイセンが咲き揃い、ハウスの前を見事に彩ります。このハウスは1メートルくらいの高さの石垣の上にあり、更に石垣の上にはアジサイなどの低木が植え込んであったので、外からはハウスの中を覗きこむことは出来ませんでした。

今、その石垣の上は綺麗に伐採されてハウスが目の前にあります。中は何列もの畝が並んだ裸の土の状態です。ご婦人に訊くと、ここでカーネーションを栽培していたとのこと。

この場所を通過するとき、ときどき、ハウスの中へ出入りする男の人の姿を認めることがあり、いつかお邪魔してお話しを聞くチャンスがあったら、と考えていました。ところが、彼女の夫であるその方がこの4月に脳梗塞で倒れ、入院中だと言うのです。

幸いにも、手足に障害はなかったものの、口がうまく利けない状態らしい。咄嗟に、言語障害なら、リハビリで何とでもなりますよ、と慰めの言葉を口に出してしまいましたが、実際はなかなか難しい様子です。4,5年の辛抱は必要だと、療法士から聞いておられたのです。

夫は昭和20年生まれの68歳。学生時代にレスリングで国体に出たほど、自分の体にはいつも自信を持っていたと言います。ただ、血圧が高かったので、薬は欠かさず服用していたとのこと。そんな夫が病気で倒れるなんて信じられない、とこぼします。

突然、働き手を失ったことによる彼女の失意が身に沁みてわかりました。病院から戻ってきたときに、この畑を荒れた状態にしておいたら、長年頑張ってくれた夫に申し訳ないというのです。話をしながら、草むしりの手は次々に動いて行きます。小さなスコップで土を掬ったあとにラッキョウのような根っこが幾つも現れました。彼女はこれがスイセンの球根だと見せてくれました。

ハウスはお宅の裏にもあり、主として彼女がそこで野菜を栽培していて、通常はこちらの方まで手が回らないと言い、しばらくはこのハウスも主のいない状態となりそうです。息子さんは横浜にいて、畑の仕事にここまでは足を運べません。私は彼女に突然降りかかった不運に慰めの言葉も掛けられず、ただ相槌を打って同情するだけでした。

今日は午後から三島の病院へ、近くに住む娘さんと共に夫を迎えにゆくとのこと。主治医から2泊の許可が下りたらしい。家に帰りたいという夫の気持ちに応えられて嬉しいと、口には出さなかったが、そんな表情が彼女の顔に表れていました。多分、この先、二人三脚で病を克服してゆくに違いないと思ったのでした。