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稲取保育園農園の誕生秘話2014/08/23

おおぶら峠から大峰山の山焼きした斜面を望む
平並に「稲取保育園農園」がありますが、この土地は「西の隠居」の提供によるものであることは農園の看板で承知しておりました。今朝はこのご夫婦に初めてお会いしました。

“山田川”を渡ったところにある入谷の畑にはぶどう棚のようなものがあって、毎年春に棚からこぼれるように咲くノウゼンカズラが楽しみでした。でも、今はその棚もなく、すっきりし過ぎて物足りない気がするのは通りがかりの無責任な感想でしょうか。

この畑の周りは石積みによる見事な城壁のようになっており、それが棚田のように上から3段を数える畑になっています。昔はここ一帯はすべて田圃だったそうで、水路や堰がそこかしこに設けられていると聞きました。

ご主人が昨日、スイカの収穫を終えたとかで、小さなスイカがゴロゴロしている畑を耕作する作業に余念がありません。よく見ると、その一角にオリーブの枝が添え木と共に何本か立っています。このオリーブの苗木は稲取園芸さんの畑で残った分を譲り受けたそうですが、育ち具合はこちらの方が順調のようです。

さて、石の上に腰をおろして、ご主人を“監督”している格好の奥様のお話しです。当時、奥様は多忙をきわめ、幼い娘さんを保育園に預ける形で仕事に出ていました。夕方、仕事が終わってから子どもさんを引き取る生活がずっと続いたのです。今の若い夫婦の家庭では当たり前になっている、子育てと仕事との両立です。

そして、後年、成長した娘さんと相談した上で、お世話になった保育園にお役に立てたらと、新たに開拓しておいた平並の土地の一部を保育園に提供することになり、ここに稲取保育園農園が誕生することになったのです。

稲取には昔から協力して問題を処理する気風があり、それを実践する方法にも長けていたようです。共同生産や共同販売所の設立、共同救護社の設立、そして静岡県に初めての老人いこいの家が東町に誕生したことなど、時代を先取りするような進取的な様々な実践活動が記録されています。稲取は一時は模範村として全国にその名を知られたと聞いています。

この「西の隠居」による土地の提供もそんな気風がもたらした美談の一つのように思えます。また四季のいろいろな農産物を保育園に届けているというのも素晴らしい。

お別れした後、上の道に回り込み、その畑を含むなだらかな斜面に広がるミカン畑を眺め、足元を見ると、なるほどコンクリートの端に水路が出来ていました。どうやら、昔、湯田の湯が存在したあたりから取水しているようです。現在は導管を引いていますが、昔は堰を設けて下の棚田にそれぞれ引水していたのでしょう。入谷の奥に展開する青々とした棚田の風景は今や昔。写真が残っていたら、是非拝見したいものです。