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大防空壕2016/01/12

「中華食堂船橋」で昨夜は防空壕の話が出ました。終戦間際の8月13日に稲取で被害が大きかったという「わたの防空壕」が「さんごうさん」の裏山にあったと聞いて、今朝はその周りを歩いてみました。

 

十王堂払い(ジュード―ばれー)では賽の神様の鳥居に大きな注連縄が掛けられていました。この週末にはどんど焼きが行われます。

 

市場前の船着場には “吹く風強く凪待ち出船”が勢ぞろい。きょうは久しぶりに冷たい風が吹き、例年並みに冷え込んでいます。

 

さんごうさんへ行くならその前にと、若宮さんに立ち寄りました。鳥居が新しくなったのか、化粧直しでもしたのか真新しく立派でした。

 

石段を上がって“さんごうさん(釋地大明神)”に参拝後、この敷地の裏側に回りましたが家があってストップ。それではと、石段を更に上がり左手の山際を観察します。この辺の崖は丸く抉れた感じになっており、如何にも防空壕があってもおかしくない形状に見えます。

 

この後は灯台の台地に上がり、“どんつく神社”から龍宮神社(じゅうごんさん)へ下りて再び若宮小路を歩き、Yさんが仕事場にいたので寄ってみました。早速、“わた”の防空壕について訊ねると、“わた”は彼の親戚の屋号だという。

 

彼は多くの人がこの防空壕で亡くなったことを話してくれました。なまじ壕のなかに入ったために犠牲になってしまった。中に入るなと、ちょっとの間、近所に出かけた親に言い置かれ、それを守った幼い二人の兄弟が現場近くで抱き合って泣いていたというのです。

 

この防空壕は20人ほどが入れる大きな壕だったが、爆撃後、その入口が分らなくなるほどがけ崩れに覆われて、救出に梃子摺ったらしい。現在は壕の跡形もなく、その入口がどの辺にあるか見極めるのは難しいだろう、ということでした。

 

“さんごうさん”の石段を更に上がった左手の山際がやはり、その場所だったようです。空からは狙い撃ちされやすいような場所という印象でした。