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83歳の猛女2016/01/15

一昨日は、稲取の山神社から農免道路を歩いて見高地区に入り志津摩に下ったのでしたが、途中、Tさんから、たまたまお話しが聞けたのはラッキーでした。Tさんは昭和7年生れの83歳のご婦人です。坂を登ってきた彼女は背がスラリとして、歩く姿はその年齢を全く感じさせません。

「この年で、わたしくし、お勤めしているのよ」と聞けば、やはりわが耳を疑います。ご主人が勤めていたホテルに午前中2,3時間、週4日通っているというのです。仕事は洋裁で、暖簾や従業員の制服を作ったり繕いものをしています。

そもそもはご主人亡き後、ホテルから口がかかり、家に閉じこもっているよりはと勤めることに決めたのだそうです。1日、2,3時間なら、体力的にも負担が少なく、大勢の仲間とお喋りをし、時には食事を共にするようになって毎日の生活に張りが生まれました。

そのほかに月2回、白田の社会福祉センターの粘土細工教室にも通っています。この教室は行政の支援があって、65歳以上ならば教材以外は無料で参加出来ます。ここで友達と一緒に楽しく学んでいるということでした。Tさんは社会参加を厭わない自立したご婦人だったのです。

結婚して大船に住んでいる一人娘が、心配して呼んでくれているが、誰に気兼ねすることなく自由に生きられる今の生活を大事にしたいと言います。それは彼女が妻としてご主人を看護した苦しい日々から、ようやく解放された反動とも思えるのでした。

ご主人は食道がんを患い、食道を切除しました。長い入院生活後、結局は自宅に戻り、Tさんの介護を受けました。食事は流動物しか摂ることが出来ません。見るからに痩せ細って“生きた屍”のようになる頃には、本人の肉体的・精神的な苦しみにTさんは翻弄され続けました。

ついにはお酒を浴びるように飲むようになり、語るも哀れな凄惨な日々を最後に他界しました。Tさんは献身的に夫に尽くしきれたことを今でも、自分自身だけの誇りにしています。この体験で彼女自身が強くなったと言っているようでした。ご主人に先立たれてから、もう20年になるそうです。