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磯辺神社2017/06/15

             黒根の前景は大島

黒根に磯部神社があります。基部だけが残る旧灯台の近くにあり、今は樹木が茂って前方の海洋を遮っていますが、昔は広く拓けて船舶の安全を見守っていたのでしょう。

 

何年か前にこの神社の祠の中がきれいに一新されているのを見ました。崩れたご神体の小さな石像の前にま新しい横断幕が掛かっていて、それには「若竹丸」と書かれていました。

 

若武丸とはご存知、天草漁を唯一営んでいたKさんの持ち船の名前。稲取のテングサを最後まで守ってきた、その若武丸のKさんから昨日は磯辺神社の話を聞くことができました。

 

現在の磯辺神社は昔は向井の磯辺にあったもので、伊豆急行電車が東海岸に通ることになったとき、海岸通りの道幅を確保するため現在地に移転することになり、費用も伊豆急側が全額負担したということです。しかも、もともと神社とは言え、野ざらしの石像だけだったのが、立派な祠の中に安置されることになりました。今から55年も前のことです。

 

当時はまだ天草漁が盛んな時代で、漁を希望する人は浜地区の人だけでなく、半農半漁の人たちなど、大勢の人たちが漁業権を希望しました。そこで、当時、天草の権利を持っていた町がその制限に乗り出し、

 

1)夫婦二人で漁をする 2)別々の者が漁をする 3)三国人が漁をする  

というように優先順位を設けたということです。

 

稲取のテングサは良質で評判がよく、当時漁業権を持っていた町に多大な利益をもたらすことになり、字船原の畑地を地主から買い上げて中学校を建てたほどだったそうです。ちなみに、この畑地の持ち主だった人に志津摩の畑で私はお会いしたことがあります。この方の話ではその場所はその時の代替地だったということです。

 

Kさんに昔の野ざらしの神社があった場所を聞き、探してみました。電車が向井からトンネルに入る手前のコンクリートの柱の並び近くの海際です。そこはブッシュで見えませんが、殆どが崖っぷちです。その辺りの松の木の脇に簡素な石像があったのです。

 

天草漁は厳しい素潜りの仕事です。サザエやアワビなどとともに漁の安全祈願のために神社が設けられたのでしょう。Kさんは天草漁を辞めた今でも、5月,7月、12月にはお神酒を奉納して漁の安全を祈願していると言ってました。この“例祭”は稲取岬のジュウゴンさま(竜宮神社)と同じですね。




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