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おでっさま2019/02/08

外へ出た時には青空だったのが、東町の船揚げ場に来た時には空はもう雲に覆われて冷たい空っ風も吹き込んできていました。意気消沈して「さんごうさん」への道まで来て帰ろうかと迷っていたら、単車に乗った方が戻ってきたらしく家の前に車を止めてヘルメットを脱ぎました。70才前後と見てとるや、咄嗟に近寄って話を聞きます。「おでっさま」のことです。

終戦間際の頃、この上の防空壕が空爆で大きな被害を蒙り多くの人が亡くなりましたが、その時、その近くに在った大師堂も倒壊しました。幸いにして残った仏像は近くの「さんごうさん」のところに移された、というお話でした。また、「おでっさま」の屋号の家は今はもうないと言います。そして大畑の「おでっさま」については知らないとのことでした。

東伊豆町文化協会編の「ふるさとのならわし」によれば、爆破された当時、同じ敷地内に金毘羅大権現があった由。しかも、やはりこの爆撃で倒壊し、さんごうさん(釋地大明神)社内に合祀したそうです。

その後、大師堂、金毘羅大権現は時期の違いはあれ、それぞれの信奉者たちにより再建されたのですが、建物の老朽化や訪れる人も絶えて取り壊されたようです。

先週、東区の知り合いの方に「おでっさま」のことを話したら、四国のコンピラさんから分祀して持ってきたとか、おじいさんから聞いたことがあると言っておりましたが、実は、大師堂の同じ敷地内に金毘羅大権現があったことで、この話は両者を混同していたのだと分かりました。

さて、残された課題は大畑の「おでっさま」との関係です。

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