どこでどう間違えたの? ― 2020/04/08
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下田市稲梓の大平山(標高428m)からの下山で道をどこでどうして間違えたのか、振り返って写真、地図それに他のウェブサイトを調べて見たのですが、いまだに判然としません。はっきりと覚えているほど注意力が十分だったら、間違うはずはないのですから仕方がないことですがね。
手がかりとしては、写真(ただし、下りの写真は撮りませんでした)・地図・ウェブサイトの登頂記録。記憶しているのは先ずは水場にあった国道への標識(1400m)。マップのA点。位置は下田市のウェブサイトを参考にしました。遊歩道はこの地点で90度の方向転換をしています。これは証拠写真が無くても覚えています!https://www.city.shimoda.shizuoka.jp/category/100600aruiteikou/110795.html
それから、次に坂戸への分岐点(マップB点)は、坂戸分岐→水場が13分、水場→山頂が20分、の二つのデーターから推定したのですが・・・。
問題はBからどう下ったか?記憶があるのはほぼ尾根に近い所を歩いていたことと、後半、掘割状の歩きやすい道を何時の間にか歩いていたこと。その後前方がひらけて間もなくお寺さんの屋根が見えたこと、以上です。
Bからの地形図を見ると、坂戸へはやはり分岐標識があったBをそのまま直進してC~D~Eへと下っていった可能性が大です。だとしたら、Bから木道は90度左に下りてゆくとはいえ、来た道に気付かないはずはないんですがね。何を考えていたんですかね、まったくのところ。ただし、このミスによって新しい発見(古道)と人との出会いがあったことに感謝しなければなりません。山歩きとしては落第ですが、幸せな一日だったことは間違いありません。
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お寺は三玄寺。茂みを分けて寺の敷地に下りたら、4~5人の方が本堂から出てきてちょうど解散するところでした。村人の寄り合いかなと思って聞いてみると、役員が一人欠けたので善後策を協議していたということでした。当方が遊歩道を往復する予定だったのを、気付かぬうちにこちらへ下りてしまったと打ち明けると、この道は以前に、村人が集まって山に入る道を整備したとのこと。
その中のリーダー格のような方は私と同年配の人で、千葉で30年仕事をし、その間に結婚、子育て後、定年で生まれ故郷の実家に戻ってきたと話してくれました。それからこの地区は須原といい、1区と2区に分かれており、彼が区長をしていた時に山に入る道を整備したということでした。昔はこの寺の下に田圃を持つお百姓さんだったが、今は畑に変えて毎日を過ごしているという幸せな方でした。
この三玄寺からすぐ下の谷津に通じる道を下れば、間もなく国道に出た所がバス停だと教えてくれました。あのコミュニティバスだ。運よく10分の待ちで乗ることが出来ました。
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