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台風14号接近中2020/10/08

きょうは大分冷え込んでいます。11月の気温レベルだそうです。気になるのは台風14号。今年の伊豆は大過なく済みそうだと思っていたら、とんでもない、今度は伊豆にもお鉢が回って来そうです。 予想進路ではその中心がまさに稲取を通ろうとしていますから、さあ、そろそろそれに備えなくてはなりません。
                                                                             

今朝港に目をやると、何時の間にか漁船が例の台風襲来に備えた態勢を取り終わっていました。女房殿の話では既にきのうの朝には今の形になっていたとのこと。つまり、大型船はロープを長く伸ばして岩壁から離れた位置に三方(?)から固定し、岩壁へも互いの船にも接触することがないよう万全を期した配置に納まっています。

西区・東区やムカイの船揚げ場には整然と船が並んでいますが、10年前と比べると、その数は大分少なくなりましたね。



一日24時間を30時間に2020/10/12

浜辺荘のオーナー、鈴木さんから思いがけなくも原稿を頂きました。そこで折角ですので、お許しをもらって当ブログに掲載することにしました。苦労人の鈴木さんの哲学を皆さんに広く知って欲しいと思ったからです。
長い文章なので、3回に分けて掲載します。ご愛読お願いいたします。
                          ーーーーーーーーブログ管理人 inada

はまべ荘 鈴木文雄 作  

                         (一)

伊豆稲取港
<真中やや左に薄茶色の4F建てビルが浜辺荘 背景の山は「おおみよ」の尾根>

私は八十年の過去から現在までいろいろな経験を積んで生きてきたということを大事に、これから一日一日を過ごさなくてはならないと考えています。時間を止めることは出来なくても遅らせることは出来るはずだと思うのです。一年を三年あと戻りするように今から遅らせて生活すれば良いのではないか、それが長生きする秘訣ではないかと、そう思えば自然と長生きしたことになると思うようになりました。 

人間年を重ねると、いろいろ考えて過ごさなければならない。人生、十人十色、人それぞれの考えがある。人の気持ちは完全には理解できない。でも、こんな自分が自分自身何に向かってどこへ行くのか、行くあてのない旅を続けるのか、そんな気持ちになるときがあります。

空は高くどこまでも高く、海は深く湖も深く底なしのように思えてなりません。人間信じるものは見えない。まるで宇宙を見ているようなものです。年をとったら大きな広い気持ちで毎日をすごすことだと、つくづく思うようになりました。

実はある作家からこんな話を聞いたことがあります。人間三回、人を助けると命が三度助かると。そういえば私も三度助けられました。一度は脳梗塞、二度目は心臓角膜欠損、そして三度目は糖尿病。その他にも海の中の事故、自動車事故等々。しかも、その都度運が良かったでは片付けられない、いろいろなことがありました。この作家が話したことがまんざらではないと思う節がいくらもありました。

その時、何故そう言う事態に遭遇したか、ということは時が経たなくてはわからない。遭遇したこと自体、今は過去のことである。従って、時間というのは運動なのかも知れないし、宇宙の法則、秩序からなっているのかも知れません。過ぎたことを思い出すことは出来ても元に戻すことは出来ない。待つことの出来るのは時間だけである。時間を大事にすることは、一日を二十四時間ではなく、三十時間に細かく区切って生活することも一つの考えである。浦島太郎にはなりたくない。

 

年をとるといろいろと考えるものである。あれは昭和六十二年の十二月、暮れの寒い日だった。義母が病院から退院して間がないというのに、体の状態が思わしくなく横浜の姉の近くにある病院で診てもらうため、朝早く車で義父と三人で出かけた。驚いたことに今思うと、稲取から横浜の家に二時間もかからずに着いたのです。

義母は私たち二人をよく面倒をみてくれ、ほんとうに有難く、今こうして旅館業が続けられるのも義母のお陰で、いつも心の中で思い忘れたことはありません。以前、義母が元気なころ、孫が「いつか死んだら、必ず出てきてね、おばあちゃん」と言ったら、義母が「おう、出て来るヨ」と応じました。でも、未だに出てきたことはありません。きっと、いい所に逝ったので忘れてしまったのかも知れません。義母のことを想うと、思えば思うほど色々なことが浮かんできます。私が家内と一緒になれたのもこの人のお陰です。思えば、人のため人のため、といつも気にかけている義母でした。(つづく)












時空を超えて2020/10/13

はまべ荘 鈴木文雄 作

               (二)

私がここで実母のことを書かないのは、5,6才の頃、親戚の叔母のところに弟の延義と二人で預けられ、十カ月余りの間、「居候いてあわず置いて合わず」の生活を余儀なくされ、親の愛情に飢えた体験があったからかも知れません。

そこではいつも我慢我慢の生活でした。家付きの子供たちとは目を合わせないように、ほんとうに辛い日が続きました。一緒に寝てくれた叔母に母の温もりを感じ一層寂しくなりました。私には実母に触れられた記憶がありません。

私は十五才の時から船の飯炊きに出て、機関長から船長になり十二年間、家の為に働きました。もうこれで充分親孝行をしたと思っています。父は私のことをいつも有難いと言ってくれました。私は長男でもないのに家業を継いだので、そう思ってくれたのでしょう。 

                                   

 しかし、母の口からは労い(ねぎらい)の言葉を聞いたことがなく、未だに母の気持ちがわかりません。九人の子供を育てるのに母は一所懸命で、それだけで精いっぱいの人生だったのかも知れません。今あらためて考えると、愛情も九分の一になって当たり前です。私のほうが我儘だったのでしょう。自分が至らなかったことを八十路になって母に詫びなければ、という心境です。今はただ母の冥福を祈りたいです。私は実母のことを恨んでいたわけではありません。私にとって人生の修行をさせてくれたと思えばそれでよしと思っています。母のことは何も書くことはありません。私はあの世に行ったら、また母と一緒に暮らしたいなと思っています。

義父は平成八年に亡くなり、入院中は見舞いに何度も行きました。ある日のこと、見舞いに来た私と妻に向かってこんなことを言っていたのを覚えています。「俺の通夜で弔問に来た人がみんな、この人は良いお爺さんで働き者だった、と言ってるのが聞こえて来るヨ。お前らも聞こえてるだろう」と。そこで妻が「おじいさん、葬式なんてやってないよ。おじいさんは未だ生きてるんだよ」と言って、二人で家に帰ってきました。                                

                        

それから二、三日してまた病院に行きましたら、「今日は死神が天井にいるよ。お前たちにはわからないか、見えないか」と指をさして何度も言うのです。人間、死を意識するようになると、見えないものまで見えるようになるのか。私は今、人間の脳神経のことを考えると、行き着くところは「神」の字のごとく神秘的な境地なのかと思われてなりません。また、抜けてゆくような空の青、海の青の中に何か人間でない生きものが潜んでいるように思われる時があって、言わば非現実的な世界に引き込まれそうになることがあります。そんな時は瞬きをしてそこから逃れるように現実に帰り、常識的なものの考え方に戻るのが常です。(つづく)

 




時間が止まった2020/10/14


<前の役場跡の清水公園と、屋上の赤い屋根のビルが「はまべ荘」>

 鈴木文夫作
                         (三)

今の脳科学者は人間の脳の中をどのように解明しようとしているのでしょうか。

私は一人の友人をその死の六時間前に車で病院に連れて行ったことがあります。病院まで十五分くらいの所なのに一時間もかかった気がしました。担ぎ込んだ時、医者にもうだめだと言われました。その三分前に私が車の中でこの友人に話しかけた時、空の上の方から細い透き通るような声で、「だいじょうぶ」と私に言ったのを覚えています。そしてその晩、息を引き取ったと友人の兄から知らせがありました。ああ、やっぱり逝ってしまったのか・・・。

次の日の明け方、4階の冷凍室に魚をとりに上がった時、何気なしに魚市場の方を見たら、友人が車の中から顔を出し、私に向かって手を上げました。こんな朝早くからまた釣りに来たのかと思いました。私も手を上げて応えました。

エレベーターで二階まで下ってきたとき、私は我に返りました。今のことは何だったんだ?友人は夕べ死んだのに漁協の所に来るわけがない。でも、確かに来た。俺は見た。そして友人は手を上げた。俺も手を上げて応えた。今考えると不思議なことがあるものです。何十年たっても、あの日のことは忘れてはいない。きっと、私の所に礼に来たのかな、そんな気がしてなりません。そのときだけ時間が止まったような気がしています。

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先に、大事な義母を横浜の病院に連れてゆくのに二時間もかからなかったので驚いた話をしました。そしてもう一つ、死に臨んだ義父が語る非現実的な世界を私が客観的に捉えてみようとした話とともに、死んだはずの友人にその死の翌朝、私が主観的に出遇った話も書きました。それぞれ時空の違いはあっても、私自身が経験したことです。私はその時、濃密な人生を生きたのではないかと考えています。 

時間は止まることも後戻りすることも出来ません。いまこうしていても、時というのは戻ることも出来ない。前へ前へと進んでどんな人でも宇宙のかなたに飛んで逝く。それが生きるものの定めであると思うしかありません。おわり

農免道路を行く2020/10/15

たるがの
一昨日の火曜日は先週から好天が予想され、一日ウォーキングを決めていました。マップのSから15まで何と、最近では暫くなかった12キロ余りを歩いてまいりました。自分でも驚きです。

今週ついに80才の大台に乗って、どこまで行けるかが問題でした。往きは良くても帰りは体調と相談して乗り物を利用することを考えていただけに、今後の参考にもなりました。

今回はオレンジセンターで食事後、「タルガノ(磯)」に遊ぶことをターゲットにしました。明日は写真でご案内します。