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アラコ道にて2020/11/06

<今朝のうろこ雲 だいぶ崩れかけているが>
水下のKIさんは92,3才のお婆さん。きのうアラコ道を歩いていたら、彼女らしい小柄な方を前方に認めた。ショイ籠を背負って、杖をつきながらも少しおぼつかない足取りでゆっくりと歩いている。追いついて声をかけながらお顔を見ると、後ろ姿よりもずっと若々しい。紛れもないKIさんだった。先年亡くなった入谷の兄上様の面影とダブル。

数年前に一望閣の下のミカン畑へ通い詰めていた彼女も、歳には勝てず畑をやめてしまった。たまたま毎年ミカンを仕入れに来ていた昔からの知り合いが、後を引き継いでくれるというので任せることにしたのだった。

膝が悪い彼女は重いものを持てない。背中の籠は大きいが、中には何もなかった。ゴミを近くの別の畑に捨ててきたと言う。家の周りが落ち葉などで散らかっていたので掃き集めたゴミだそうだ。今ではこうして外歩きをすることは滅多にないと笑った。

このアラコ道にはいろいろ楽しみがある。毎年入梅の時期に道端にユーカリの花が咲く。初めてその鮮やかな赤色が目に飛び込んできたとき、小さくても人を惹きつけるに十分な貫禄を感じた。“雨に西施がネブの花”を陰とすれば、こちらは陽である。

このユーカリの花が咲いた後に、その隣の畑に白いテッポウユリが登場する。それも数メートルはあろうかという背の高さを、揃って競い合っているように見える。東方の山に向かって妍を競っているのだろうか。

この日はいつになく車が往来していた。通行の邪魔になるくらい私たち二人は長い間おしゃべりを続けた。彼女に会うと、私は決まって質問を投げかける。昔のこの道はどんな形をしていたか?この地点は字崩山の範囲内だろうと思う。彼女が知っている限りでは、既に愛宕山の南面の一部は崩れて現在の形と変わらなかった。ただ、現在私たちが立っている南に開けた場所は落ち込んで、細い道が上下して続いていた。

暗くなるまで畑仕事をして帰ってくるこの道には、あちこちの枝道から人が合流して列をなして歩いていたことがたびたびあったという。そうしたとき、先頭は牛の糞があるから気を付けろ、と皆に声をかけたものだった。街灯も何もない時代だった。

話しはいつしか水下の家々の話に移ると、次から次へと彼女の話は飛んで行く。意外な姻戚関係を聞いて私は驚くだけで、その入り組んだ複雑な話に従いて行けなくなる。
どこそこのマゴ爺さんはKTさんの家の総領の弟で分家して家を構えた。その長男の嫁さんはF家の出で・・・とくると、もうその先を理解する力が急速になくなる。滔々としゃべり続ける彼女は年を重ねて頭脳明晰そのものだ。ちょうど角を曲がってお家に着いたところでお別れした。またお会いしたときに続きを聞かせてもらいましょう。