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神子元島灯台開設150周年2020/12/01


下田開国博物館で神子元島灯台の特別展があるというので、病院の定期診療のあとに寄ってみました。ほんの一角の展示でしたが、普段では見られない資料の展示もあり、有益な時間を過ごしました。

日本での灯台の類の発祥はだいぶ古く、西暦839年の遣唐使船の派遣の時まで遡るんですね。この時、暴風雨のため9隻が難を受け、1隻は自力で帰還したものの大宰府が各地に烽火をあげさせて、7隻が肥前の国に漂着、残り1隻は翌年大隅に漂着したのでした。この漂流船のために烽火をあげたのが日本の記録上、灯台事始めとされているということです。

その後、江戸時代に海運が盛んになると、灯明台(明堂)や常夜灯が各地の岬や湊に設置されるようになり、一定の役割を果してきたらしい。そして、幕末に下田・函館が開港、その後横浜・神戸が続き、1866年の英・仏・米・蘭の4か国と改税条約を結ぶに及んで灯台建設が明治政府に引き継がれるわけです。

その詳細は洋式灯台8基、剣崎・観音崎(相模)、野島崎(安房)、神子元島(伊豆)、樫野埼・汐崎(紀伊)、佐多岬(大隅)、伊王島(肥前)
灯明船2か所(本牧沖、函館)



神子元島灯台はスコットランド生まれのブラントンが建設、1871年に初点灯。彼は在日9年間で30基の灯台・船灯を建設し、日本の灯台の父と呼ばれているそうです。

それから、R・H・ブラントンが建設した灯台の設計をしたスティーブンスン兄弟社は、「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」でお馴染みのR・L・スティーブンスンの父と伯父の会社だそうです。しかも、「よしだとらじろう(吉田松陰)」という本も著しているとか。その意味でR・L・スティーブンスンと日本とは縁があるわけです。

神子元島付近は釣りのメッカだそうですが、一度訪ねてみたいですねえ!