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鉢窪山へ その32022/09/25

この三叉路手前には大きな文学碑があった。島崎藤村の「伊豆の旅」の一文が刻まれている。「茅野という山村の入口で吾輩は三人の荒くれた女に逢った・・・」と読めたので次を期待したが、その先は容易には読めなかった。 

さて、旧天城トンネルへの道から分かれて、なお続く車道を少し入った右回りの地点に左に分ける道があった。チェーンバリアが張られている。これが実は鉢窪山の山頂から左回りに続く作業道である。帰りはこの道をたどることになる。

 

遊歩道入口まではほんの2,3分だった。小さな標識版に「天城九花木」という文字が添えられている。この道に入って間もなく、その花木の大きな絵看板が立っていた。それによると、伊豆半島には天城山を中心に2千種あまりの被子植物があって、その中で9種が天城花木として選ばれたという。アマギツツジ、アマギシャクナゲ、ベニドウダン、ミツバツツジ、ヒメシャラ、ドウダンツツジ、アセビ、ヤマボウシ、コメツツジ

 

登り始めは落葉高木樹林帯で、手入れされて整然とした美しい林の中の道だった。急な登りでも気持ちの上では苦しい感じはなく、ゆっくりと楽しみながら歩を進めることが出来る。その上、ところどころの木に名前が書かれた札が付けられて道案内をしてくれる。それが続いていよいよ灌木帯に入った。ヒメシャラは高木だが、イタヤカエデ、ガマズミ、リョウブ・・・。明るい林がひとしきり続いて、いきなり開けた斜面に出た。振り返ると、近くの山々がのぞいていた。時折、光が差し込んで来ている。遠景は雲の中で、このぶんでは富士山は期待できそうにない。


赤松が一本だけ斜面に立っていたので、さあ、マツタケはどこだどこだと誰云うともなく探し始めた。もう既に実りの秋、雨後の何とかというではないか!いやあれは竹の子か。ところが、こうして戯れたあと、この先深い深いシダの中を歩いて遂に道を失ってしまった。案内標も見つからない。しかし、もう既に丸いお山の8合目辺りと思われる。テッペンを目指せばいずれ山頂に到着するはず。慌てることはない。

 

シダの深いヤブを漕いでいると、S氏が左手先方に赤いリボンを見つけた!勇躍しながらその場所に来ると、その先に半ば明瞭な道が続いていた。シダ類で覆われていなければ踏み跡はしっかりしたものだっただろう。この時期ならではのシダ類の天下なのだ。もう“展望台”は間もなくだった。斜面の一部を丸太の何本かで平に固め、その上に太い木を縦に半円形に割いたベンチを置いただけの簡単な展望台である。何よりもこのベンチに座れば、前方に富士山が見えるはずであった。立派な展望台である。しかし、湯ヶ島(?)の集落ははっきりと見て取れたが、遠景の富士山の姿はなかった。また、好日を選んで来ればよい。必ず逢えるのだから。

 

展望台から2,3分上がって窪地へ下るとそこが火口跡だった。小さなものでお鉢巡りも出来た。伐採した木々が整地の材料になり、かつまた所々に放置されていた。一周手前で林道(実は作業道)に上がると、手前に白い角柱が目に入った。三角点だ!草が被さった標石をよく見ると立派な三等三角点である。これは儲けものだ。

 

12時45分、帰りはこの作業道を歩くことにした。往きは表通り、帰りは裏通り。計画通りではあったが、S氏から声がかかったのも理由のひとつ。急斜面のあのシダのヤブ漕ぎは御免だ、という気持ちは全員のものだったに違いない。もう自然と足は作業道をたどっていた。途中、ヤマカガシが道を横断していた。今度のはかなり大きい。Y氏がすかさずステッキをかざしたが、たちまちにして反対側のシダの中に消えた。

 

遊歩道入口付近のチェンーバリアまで戻って、隣接の広場で遅い昼食にありついた後、往きに通った車道を歩いて浄蓮の滝駐車場に帰還。時刻は15時ちょっと前だった。

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