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ひらなみHWをゆく2026/02/21

本日歩いたコースはJAミカンワイナリ~ヨカサカ柚久保道~天城入谷道~吉窪道~長坂~国道135号、以上。

ポカポカと暖かい好日。”ひらなみHW”を歩くのは久しぶり。午後13時半、気温は14度C。陽の光が眩しいくらいです。ミカンワイナリから旧道を歩きました。最近は悪天により樹木が電線に触れて停電になるのを未然に防ぐため、枝打ちなど手入れが行き届いてスッキリしたせいか、旧道でも明るい道を気分よく歩けます。

「ひらなみ」から新洞川橋を渡って杉・ヒノキの美林に囲まれた新道を上がります。
上った所が”おおぶら(大洞)”峠です。ここで一息つきます。
I園芸さんでは休閑地の復旧工事をしていました。

そして入谷集落地に入り、下山となります。途中、畑の入口で知り合いが作業中のところに出合いました。思わず声をかけました。

「何やってるんですか?」

「実はね、柱が腐ってきたんでね、この小屋の」

前々から、いつかこの作業に力を入れないと小屋が使い物にならなくなる。そんな危機感をもっていたのが、漸くその気になって着手したばかりなのだそうだ。 

6畳一間の小屋はトタン屋根の、言ってみれば何処にでもある掘っ立て小屋だ。ただし、4畳に畳を敷き、南北にそれぞれ一畳ほどの土間を付けて休憩時間に余裕をもって過ごせる配慮がしてあった。既に28年が経過している古い小屋だが、外観もペンキを度々塗ることで“何とか持たして”きたと言う。 

彼は仕事を中断して小屋の北側のドアを開け、腐った柱を見せてくれた。柱の敷台を含めた下部が腐っている。小屋の北側は水回りの設計になっていて、北側のトタンの壁は地面から15センチ位の高さまで水に浸された痕が残っていた。彼はその一部に丸い穴が空いているのに手を触れ、トタン自体が腐食しているのを明らかにしてから、外に出て裏に回ると水道の設備がしてあった。トタンに空いた丸い穴はその水道管を小屋の中に通していたのだった。水道管は取り外して、今はもう部屋の中に水道は回していない。 

彼は某通信会社に入社して定年を10数年前に迎えた年金生活者だ。実は10数年前に彼に初めて出逢った時に、彼は山芋の栽培の様子を見せてくれたことがあった。人の丈の2倍もありそうな長い山芋を横に寝かして栽培していたのを見て驚いたものだ。彼がまだ定年前のことだった。その時のことは当ブログに紹介しているが、そもそもこの畑は会社の同僚5人で始めた手慰めの、要するに趣味の一つだった。 

その同僚も一人抜け二人抜けして十数年前には既に彼一人になってしまった。畑仕事が好きな彼だけが残ったのである。しかし、今でも仲間は何かに付けて集まってはいろいろ手を付けている。去年は天王さんの境内にある忠魂碑の周りが樹木や下草で覆われていたのを仲間と共に剪定などをして一掃した。ちなみに、この忠魂碑は東伊豆町には数カ所あるので同じ仲間でボランティア労働を提供したのだった。それから数年前のことだが、たまたま畑の前を通りかかった時、車が数台留まって何人かの姿があった。彼の姿が見えたので聞いてみると、何かの記念に祝杯を挙げるために集まったと言う。普段、彼一人だけの畑だったのが急に賑やかに変わっていたのでびっくりしたのだった。 

やはり数年前のことだが、稲取の磯遊びの名所の一つ、“はなれ”で仲間に囲まれた彼の姿があった。“はなれ”の磯回りは一部危険な箇所があって、ある程度の運動神経が必要で、油断をすると転んでケガをしかねない場所である。そんな所でいい歳のオジサン連中が“ズガニの引っこくり“に興じていた。みんな会社を定年退職した先輩後輩だった。 

ところで、彼の畑は何時の間にか、その奥の樹林帯にまで面積を伸ばしていた。これも彼一人で土地を借りて作業したと聞いてまたまた驚いた。小屋の脇に小型のユンボがあるのでこれを自ら運転して整地したとのこと。やることがどこまでもスゴイ!第二の人生は農作業をとことんまで追及することだったのだ。 

そのユンボが実は知り合いの所有で、故障して廃棄するつもりだったらしいのを譲ってもらった代物だと言う。それを仲間の一人が修理して使えるようにしてくれたとのこと。思うに、彼は一人でも、号令をかければ常に集まってくれる仲間・友達がいる。彼が充実した人生を送っているのは、やはりこうした仲間を彼が大事にしているからなのだろう。彼との会話で、あの常に呵々大笑している彼の表情を見ていると、当方も幸せな気分になるから不思議だ。おわり

市民農園2025/08/18

一昨日の土曜日までは2~3軒の泊り客があったものの、きょうはその姿は無しで、畑中で熱心に作業しておられた管理人さんと雑談している間に3人の地元の方々がそれぞれの畑にやってきました。
このお盆ウィークにはさぞかし大勢の来客があるかと思っていましたが、やはりこの酷暑では無理だったようです。管理人さんも流れるような汗と苦闘していましたので、いい加減で邪魔を詫びて引き上げました。




保育園農園の畑にて2025/05/09

曇り空のきょうは夕方から雨。ならばと朝一番のバスでミカンワイナリ前まで上り、その後はほゞ楽勝で入谷へ。「ひらなみ」に来て、東伊豆町の認定保育園農園で作業中の理事長先生に久しぶりにお会いしました。平らに盛り上がった畝の上に黒いマルチシートを敷いてペグのようなもので固定しているところでした。何を植えるのか訊いたら、夏野菜を植えるんだそうです。
                      保育園農園
マルチを敷き終わったら、シートの上から穴を開けてこの作業は完成。あとはポットの苗を園児たちに埋めこんでもらう手順です。実はこの苗も理事長先生が自らポットに種を蒔いて育てているんだそうです。キュウリにしろナスにしろ、芋ほりのように単に収穫体験で終わらせるのでなく、収穫までの間に園児が可能な限りの作業に参加することによって、収穫の喜びだけでなくモノ作りの喜びも感じてもらう、いわゆる食育の一環です、ということでした。相変わらず一歩も2歩も進んだ教育に打ち込んでおられる先生でした。
手前の2列はジャガイモの苗で花が咲いていました。あとひと月もすれば、実が生るそうです。

栄昌院~入谷道~入谷口~2025/03/17

大川の橋の袂に咲いた濃いピンク色の花びらが少し散り始めていました。サクラの木を前にして暫く呼吸を整えます。華やかな枝の背後には最近雨の日が多くなったことを証明するかのように大川の小堰堤を越えて流れ落ちる水が白いシブキをあげていました。この場所に立つと、決まって思い出すのが、T先生のミズバショウの話。桃野湿原に町の事業の一つとしてミズバショウを植えこんで尾瀬のような場所を具現しようという期待が、ある年の台風によって敢え無くもつぶされてしまったこと。この湿原の北側に下った所に野鳥観察舎が今尚残るミニ公園とともに先年亡くなられたT先生の思い出は尽きない。 

一望閣を真下から見上げることが出来る細い急な坂を上がりきった場所は先に触れた変則十字路です。一望閣が営業していた当時は送迎バスがこの小峠を駐車場にしていたと聞きます。ここから一旦駅方面へ下ってすぐに右へ栄昌院方向に向かいます。この辺は大長坂で、その屋号のお宅のミカン畑が広がっています。ミカン畑の中でだいだい色のミカンを背景にポーズをとってくれた故N女史の笑顔が思い出されます。田代の台地に続く坂道の入口でこのミカン畑をもう一度振り返って暫し回想に耽ります。都会の生活からUターンして故郷の稲取に戻った幸せを彼女は話してくれました。 

  入谷道に出た所から田代の台地を振り返る コトリのランドマークも

〇さんのもう一つのミカン畑を右に、急坂を耐えて田代に上がりました。正面に栄昌院のモクレンと、手前にピンクの濃いサクラが迎えてくれました。そして左に回り込んで入谷道に出ると、この日は南に舵を切りました。間もなく第六分団の倉庫前を通過し、水下公民館の先の道を下って入谷口に到着。その後、バス通りを歩いて港に出、「こらっしぇ」のベンチで一休みして帰宅したのでした。 おわり

〇2さんのこと2025/03/16

         (田代の台地に上がりました)

実は、付近一帯を年中さらさらと流れている中川(熊が沢)で、ミカンの木の陰に〇2さんの姿を発見して心が動きました。チャンスだ!ミカン畑は南斜面に向かって山沿いに広く、小高い所から見渡すとバリカン山の直下が比較的長い間、だいだい色に染まって壮観です。今は道路際の収穫が終わり山際の一部が残っている程度となり、作業は多分、ミカンの木の剪定だと思われます。ご当主は〇さんですが、今や会社務めが定年を迎えた息子(〇2)さんに替わっているかも知れません。ここで親睦を深めるチャンスだと思ったのです。

先日、長坂を一望閣直下の変則4差路(私はここを“小峠”又は“肩”と呼んでいます)まで降りてきたとき、〇2さんにお会いしたことがありました。彼と同年配くらいの方と地面に座って歓談しているところでした。ところが、最初はどなたかとも分からず、長々と話を交わした後になって漸く〇2さんだと気が付いたのです。これまで幾度となくお会いしたことがあるのに。ただし、よくよくお話を交わしたのがその時が初めてだったのです。思うにいつも真面目一筋の方と思っていたのが、ざっくばらんに豪快に笑いながらお話をする好感の持てる方でした。

さて、ところがです。その折角のチャンスを反故にしてしまったのは、優柔不断な私の欠点!インタビューワーの資格なし!その時、私の心の動きは迷いに転じてしまったのです。今、悔やんでもあとの祭り。

そんな後悔の念にかられながら、大川にかかる橋の手前でHさんがちょうど軽トラに乗るところを捉えました。しかし、二言三言話しを交わしただけで私の方から通り過ぎてしまいました。気持ちの切り替えが出来なかったのです。またまた残念! つづく