<><><><><><><><><><><><><><><><><><>

トンビ?2022/01/23

先週、水下・入谷の神社参拝の帰りに或るミカン畑で奇妙なタカを見つけました。
白っぽいトンビが畑の上を舞っているように見えたのが、そうではなく作り物のトンビが風に舞っているのでした。田圃などにはカラスなどのまがいものが吊るされているのをよく目にします。
ミカン畑で成長したミカンの一つ一つに紙袋をかぶせているのは、野鳥などにつつかれてキズを付けられないようにするのもその理由の一つだと聞いたことがあります。紙袋をかぶせる手間を省く有効な方法がこの空飛ぶ”トンビ”かも知れません。



今朝の様子ではその一つが本物のトンビかカラスにやられたかもしれません。骨を折った、いや、折られたようです。






カヤをチップにして2021/08/07


この写真は「茶の平」から水下~見高入谷道に下る手前の坂で発見したカーブミラーです。面白いのはその柱に結わえ付けられた「注意」の文字と矢印です。人に注意を喚起させるに十分な文字板ですね。この文字板と柱とはワイヤーで括られていましたから、風雨などで引っくり返ったのではなく、はっきりした意図がうかがえます。
背景の竹藪はかなり広範囲にわたっており、だいぶ前に農免道路~山神社をめざしてこの坂を上り始めた時にサルの群れがこの竹藪から道路に出て遊んでいるのを遠くから目撃したことがありました。君子危うきに近寄らず、ただちに引き返したのでした。ですから、その後はここを通る時はいつも緊張します。

さて、ここを通過し、十字路を海岸に向かって下ってゆきます。そして暫く行くと何か器械の音が聞こえてきました。雑草でも刈っているのかなと思いながら近づくと、知り合いの農家の方がカヤをチップにしているところでした。枯れたカヤの山から手でつかみ取った分を小型のチッパーにセットをくりかえしているところでした。小さく刻まれたチップが流れるように出てきて、みるみる別の山を作ってゆきます。

彼はわざわざ器械を止めて話に乗ってくれました。これは土と一緒にしてこねたものをイチゴの畝に使うのだそうです。ミカンはカヤを床に敷くだけですが、こういう飼料の使い方もあるのですね。イチゴにはきれいな水と飼料が欠かせないと言うお話でした。

志津摩の海岸には下りず、去年、セッコクを頂いたお宅に寄りました。たまたまご主人にお会いできたので、今年首尾よく花を咲かせることが出来た報告がやっと出来ました。このお宅では3輪だけですが、まだ咲いているのには驚きです。

志津摩の国道から「お舟石」を望む


柿の木に付けたセッコクです。



農業用ハウス2021/06/13



下平塚の馬頭観音碑まで来れば、その先には間もなく”さじめ橋”があって志津摩川を渡り細い道を上がって行くと、坂の途中にカーブミラーの付いた四辻があります。直進して急坂をゆけば”いのきわ”のミカン畑やハウス群に出、その先へは藤が沢を渡って見高方面へ延々と続きます。海側への細い道を下れば国道は間近で徳造丸のトコロテン工場の所に出ます。以前はこの降り口の所に食堂”釜めしさいかわ”があったが、今は店を閉めました。残念です。

今回は四辻を山側に折れて急坂を上がりました。右手は広い竹林で、一度サルが道端で群れていたことがあり、慌てて戻ったことがありました。君子危うきに近寄らずです。この坂を詰めれば前方は開け”あらまき”のハウス群(マップのC)が眼下に見通すことが出来ます。

ところで、今回はじめてつくづくとハウスを眺めて、とある一画にとてつもなく大きな広いハウスがあるのに気づきました。食パンの曲がった耳を6個並べた屋根にして、全体が長方形の一つの敷地に建っているのです。詰まり、6個のハウスを並べて一つのハウスにしているのでした。

当然、中には縦横に柱が何本も立って堅固な鉄骨構造にしています。その広さは体育館の広さの倍はあるでしょう。屋根までの高さも普通のハウスと比べるとかなりあります。それにまだ新品のようでキラキラ輝いています。多分、最近建て替えたのだと思われます。

同じ道を通っても、目の置きどころ、観察眼を鍛えればもっと何かを知ることが出来ると、この日あらためて感じた次第です。ボーっと歩いてるんじゃねーヨ、と誰かさんに言われないように。


下平塚の馬頭観音2021/06/12



ユーカリ(マップA)を見てから”水下~見高街道”をどんどん進みます。百塚の四辻を過ぎ、更にその先の下平塚の馬頭観音碑の所(マップのB)で足を留めました。年配のご婦人が石碑の上部で掃除をしていました。そこはずっと上に広がる南斜面の畑の入口です。

声をかけてから、馬頭観音碑について聞いてみました。実は4つある石碑の一つが何であるか判然としないので、この道を通る度に疑問に思っていました。他の3つは何とか読めても、もう一つは文字が刻まれていたのかどうかさえ分かりません。石碑などは多年にわたる風雨によって浸蝕されてしまうのは仕方ないことですが。

果たして、ご婦人はその点はわからないが、奈良本から水下のミカン農家に嫁入りしてから、この場所に碑があること、この場所でヒヅメを点検したり取り替えたりしたこと、そしてその後もこれらの石碑は水下の近くにあった馬頭観音を集めたものと聞いたことがあると言います。

それから、最近ではイノシシがこの辺を荒らしまわり石碑の土台まで崩してしまったことがあって、近所の左官屋さんに修復してもらったそうです。役場に話を持って行ったが埒が明かなかったと嘆いていました。

この道は牛馬が通った古くからの農道でもあり生活の道でもありました。一つの目印としても石碑が立てられたことは想像に難くないでしょう。海岸通りとは別に水下から見高へ抜ける街道みたいな道だと、幾度となく通っている私などには思われます。言うなれば歴史を刻んだ道ということです。ですから、道路の保守・維持は欠かせないはずです。 つづく




ユーカリの実2021/06/11



きのうは大して歩いてないので、今日は少し余計に歩こうと、水下から農免道路に上がって山神社まで歩き、国道に下るコースを選びました。午後から曇り空で歩くのにちょうど良いよいコンディションでした。

アラコ道に来たら、あのユーカリの木に実が生っているのに驚きました。この木は数年前から樹勢を失い、最近では枯れ枝や枯れ葉が目立ち心配していた矢先です。実が生っていたのは全体のほんの僅かでしたが、実そのものはいつも見てきた開花する前の段階と全く同じ形状で、これからが期待できそうです。(実が開花するという表現はおかしいかも知れません。しかし、この実が裂けて出来上がった形が花に見えてしまうので、ここでは開花としました。イチジクみたいなものなのでしょうかね)

この後は下平塚を経由して”いのき”を目指します。(つづく)