<><><><><><><><><><><><><><><><><><>

認知症ステージ32020/10/06

今日初めてお会いした方が認知症のステージ3だと聞いて驚きました。30分以上も話をしていて、とてもステージが進んだ病人には思えませんでした。そこで、帰宅して調べたら、S1が認知機能の障害無し、S2は非常に軽度の認知機能の低下、S3は軽度の認知機能の低下、ということでした。なるほどS3程度でしたら他人にはわからない訳です。ちなみにステージ3とは、日常生活で入浴、食事、トイレなどの基本的なものが問題なく処理でき、ただ、計算だとか買い物だとかに多少の難点がある状態だそうです。

S4では中等度で、S5となるとやや重度の認知機能低下となるので、S3までは心配するほどではないということになります。ただ、S3でも放っておけば間違いなくステージはいずれ上ってしまうということです。認知症予備軍(MCI)の位置づけですね。これが進むと行き着くところステージ7で非常に重度な認知機能低下となります。

きょうは久しぶりに水乗りから迂回路に上がってみました。片瀬のちょっとした公園の名前と片瀬の海岸通りの「はりつけの松」に近い橋の名前を再確認するのが今回のテーマです。
稲取第2配水場から白田海岸へ下りる途中、畑の垣根にエンゼルトランペットが元気でした。薄いピンクは珍しい。稲取では黄色以外見たことありません。

新白田トンネルを出て第1、第2ハンノキ沢橋を過ぎて緊張します。先月大倉橋の辺りにサルが群がっていたからです。でも、今回は曇天でもあり気温も低くなってきていたからでしょうか、幸い姿を見ることはなく安堵しました。

そして、その少し先の配水場の手前で下から上がってくる中年の人に出会いました。時刻は3時をまわっていました。稲取の方で、湯が岡に入所している奥様を見舞った帰りだとのこと。それも、殆ど毎日だというから驚きました。

実は、奥様はまだ若いのに認知症だそうで、そういえば、彼もまだ60歳前後のようです。定年で伊豆急をリタイアしたとか。そのうえ、また驚いたことに、彼自身もS3の認知症予備軍だというのです。とてもそんな風には思えませんでしたが。

しかしながら、いろいろ調べて見ると私自身もMCIの可能性が大のような気がしてきました。ガンと同じように初期段階でしたら、少なくとも進行を抑える、スローにすることは可能のようですから、とりあえず病院で検査してもらう必要があります。近いうちに決断できるか、ウーン、自信がありません。

気が付いたら遅くなってしまい、結局今日のテーマはモノにすることが出来ず、繰り越しになりました。


医療関係者のタバコのマナー2020/06/05

いつぞやはタバコの弊害が社会問題になりました。やれ肺ガンになりやすい、循環器官にも悪影響を及ぼす等、やかましく言われました。しかし、その覚悟があるかは知らず、相変わらず喫煙を続けている人は少なくありません。法律が喫煙を禁じているわけではないので、とやかく言う必要はないのですが、これにマナーの問題がかかわると、黙ってはいられなくなります。

数日前にふれあいの森から下りてきたとき、伊豆東部病院の脇道でタバコを吸っている病院関係者がいました。全身白衣をまとっています。墓地から下りて来るこの道は狭く、病院側は垣根が一部有刺鉄線で中の空き地を見通せるようになっています。反対側も低木の垣根があり、一部の垣根が失われて中の空き地に入り込める状態です。以前はこの中スレスレの所で木陰に隠れた状態で喫煙していた人が殆どでしたが、本日は吸い殻が1本だけ見つかりました。

さて、今回、白衣の壮年男性は西側の垣根を背に、病院側に向かってタバコの煙を吐いて立っていました。このままだと、私は狭いその前を通ることになります。しかし、直前になっても、彼は少しも動こうとしません。私が端に寄るように命じて、ようやく彼の背の後ろを通ることが出来ました。

道を塞いだこと、タバコの煙を人の顔に吹き付けそうになったことに対して何らの言葉もありませんでした。マナーに欠けたエチケット知らずにもほどがある!人に配慮もできない、こんな厚顔無恥のやからに医療行為を任せるわけにはゆきません。

伊豆東部病院は康心会伊豆東部病院に替わって出直したはずなのに、依然として一人一人に基本的な心構えが出来ていません。そんな病院関係者がいるとは残念でなりません。この場所でタバコを吸う人は一人や二人ではありません。しかも、みんな白衣を着ている人です。

病院は多分、院内での喫煙を禁じているのでしょう。だとすれば、こうした恥知らずの職員を何とかしなくてはなりません。やはり喫煙小屋を独立した場所に建てるとか対策を講じるべきではないでしょうか。ナニ、煙が外に出ない完全密封の掘っ立て小屋でいいんですよ!”ゴミ箱を置かない観光地”ではあまりにも無責任過ぎます。喫煙常習者はそれでなくとも、所を選びません。対策をたててマナーを叩きこむべきです!

黒根の灯台2020/05/25

<背景は伊豆大島>

きのうは黒根の坂から磯で少し遊びました。車は駐車場が今の時局で進入禁止となっています。少し後ろめたい気分で磯に下りました。写真の灯台は戦後に廃灯となった、今は復元された旧稲取灯台に替わって建てられた灯台で、現在の稲取岬灯台が出来るまで活躍しました。写真では灯身がありませんが、この灯身は稲取中学校の玄関前に立っています。


きょうは内科と外科の定例の診療日。恐る恐る下田を往復してきましたが、電車は乗客もまばら、道路の方は車が多少戻ってきたような感じでした。病院の方は通例の3分の1くらいでしょうか、いつものようなストレスを感じないままで終わりました。

病院では玄関から中へ入ると、即、検温がありました。テレビで知っていたオデコに当てて瞬時に結果が出る検温器を使っています。私の場合も36.2℃で、簡単に入室OK。この後も流れるように次の段階へと進んで、最後に薬局で薬を受け取って自由の身になりました。いつもこんな具合だと好いですね。

下田の病院へ2020/03/31

フリージア
病院の予約診療日の今日は行くべきか延期にするか迷いました。病院が混んでいたらアブナイ。電車も混んでいないとは限らない。でも、他の薬は一カ月以上、余裕があるが、コレステロールの薬があと2週間の余裕しかない。さて、どうすべきか・・・。病院は今や安全地帯ではないのだ。

問題の東京は、昨日は感染者の人数の伸び率が収まったけれども、予断を許さない。静岡県では一昨日まで4人の感染者、死亡0だったのが、今朝になって感染者8人に増えていた。これから爆発しそうだ。観光客や感染者の多い他都府県からの流入が怖い。

日本全国でピークがいつになるか?多分、今までの趨勢からすると、4月以降になるだろう。だとしたら、”爆発”状態になる前に用事は済ませておくべきだろう。一日も早く。

そして、結論。今朝行ってまいりました。何と、電車も病院もガラガラ。数人が或る程度集まった形になっていたのは薬待ちの一角(ロビーを含む広ーいエリアの中の)だけでした。案ずるより産むが易し、でした。

聴力2019/11/14

イソギク
<赤いのは「ネコノシッポ>
子どもの頃には私は聴力が弱いと感じたことはなく、不便を感じ始めたのは古希を過ぎてからのような気がする。最近、テレビでしゃべっている声が、音としては聞こえているのに何を言っているのか良くわからないことが度々ある。そこでボリュームを上げるのだが、健常者にとってはいい迷惑である。高すぎる音を常に聞くようになると、いつか難聴を誘発しかねないからだ。

最近のテレビ放送は字幕付きが多く、このごろは字幕が出るとそちらの方に目がゆき、声自体を聞き取るほうがおろそかになっている。したがって聴力が益々衰えてゆく気がする。聴力にしたって、耳に入ってきた言葉を瞬時に理解する能力が問題だ。理解できていなければ、それは雑音でしかない。聴力テストは「あ」を「あ」と耳に届いているか否かだろうが、それが合格点であっても耳に届いてきた言葉を理解する、詰まり、言葉の意味がわかる能力とは別問題なのだ。

テレビの字幕は聴覚障害者にとっては欠かせないサービスだが、年と共に聴覚の衰えを感じている者にとってはむしろ逆効果かも知れない。何とか自助努力で聴覚を取り戻すには字幕なしの音声、即ちラジオが一番かも知れない。

音読はどうだろう。音読は認知症の予防や進行を遅らせるのに効果があるという。特に一人ではなく何人かで読み合うのが良いとされる。この場合の条件は皆で声を合わせること。自分だけ張り切って突出してはならない。そのためには絶えず耳をそばだて、尚且つ、周りに気配りしながら発声のタイミングをはかることが大切だ。

字幕付きのテレビの放送を瞬時に理解するのを受動的認識と定義すれば、自ら音読して発した言葉の意味を瞬時に理解するのは能動的な認識と言えるだろう。しかも、後者の方が聴覚能力においてはより意味があるのではないか。何故なら、文字を自分自身の声で音出しし、その音を聞くという作業が伴うからである。

でも、文字を読むという点ではテレビの字幕付き放送と変わりがないではないかと、反論されるかもしれない。確かに、字幕を読んで理解していると言う行為が伴ってはいる。しかし、この場合は放送で流れて来る音声の理解が後回しになる傾向を助長する嫌いがある。字幕依存症だ。テレビは映像があるから尚更だ。映像自体が事態の意味を伝えている。ひるがえって音読の方は勿論黙読ではないので、自ら発した音が耳に届くことからすると、音声の認識能力の観点からは、テレビの字幕放送の場合と比べて大きな違いがある。

ただし、ラジオの場合だと、頼りになるのは受動的ではあっても、流れて来る音声のみがその意味を理解する唯一の手段であることから、ラジオは大きな効果を発揮するに違いない。

以上を要するに聴力、即ち聴覚能力の訓練には、基本的に音声について能動性を持つ音読が第一で、ラジオがそれに続く有力な訓練手段だといえるだろう。明日は月一度の音読の日だ。紅一点ならぬ白一点で、“紅”に合わせて音読を試みる努力をわすれないようにしよう。