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稲取岬から小丸山へ2023/06/02

<一昨日の続き>
小丸山へ向かう途中で気になるのは民家の生け垣のトケイソウです。今年も咲き始めていました。ツボミが沢山ありましたので、あと一週間もすれば賑やかになるでしょう。いつみても清らかで謎めいた花です。
                      トケイソウ

小丸山の公園は訪れる人もいないようです。
隣り合わせの墓地は確か、都落ちした上方の公家のお墓ですね。
つづく

稲取岬に上がる2023/05/31

昨日でしたか一昨日でしたか、伊豆を含めて東海地方は梅雨に入ったそうです。きょうは午後から天気は回復に向かうということで折角のチャンスを逃してはいけないと港に下りました。久しぶりに先ずは灯台を目指します。
     東町の”ハ百ビクニ”が前にあった場所から”おおみよ”の尾根を望む

10年ほど前でしょうか、この道路が拡幅されたのは。港湾工事が暫く続いて舟寄せが整備されました。

八幡様に寄りました。この正月は初めて参拝を見送ってしまったので、改めて今年の初詣です。後から中年男性の参拝客がありました。

階段を上がり鳥居をくぐって”じゅうごんさま”に参拝。ただし、祠の引き戸は閉じられたまま(相変わらず”看板”に偽りあり)でした。

燈台に上がりました。展望台から”カグラ石”を遠望。今日は大潮に近いかな?カグラ石の左手前の岩溝にかなり海水が流れ込んでいるようです。それから、黒根に旧燈台の灯身が見えます。
つづく

ハート池2023/05/24


        今朝のクリーンセンター (中ほど右側の雲に大観覧車が)
ヒラナミHWは先週の土曜日に歩いたばかりだが、今日のように暑い日はこのコースが最適とばかり迷わずクリーンセンターに上って”ひらなみ”へ向かいました。このコースは樹木が天を覆い風がよく通ります。日陰を探す必要がないのです。特にクリーンセンターから、大洞峠の手前の”ひらなみ”までの間が抜群です。幸せな散歩が出来るというわけです。

さて、その”ひらなみ”に到着したところ、稲取保育園農園に理事長先生の姿を認めました。きれいに雑草が除かれた畑のマルチシートなどに”鋲止め”を丹念に差しています。この農園の方針として、子どもたちにただ単に収穫体験をしてもらうだけではなく、タネ植えそして苗植えから結実するまでの、云わば野菜が収穫できるまでの様々な体験の機会を持たせている、と聞きました。

傍らには小さな井戸があるので聞いてみると、ポンプは使えるけれども、下を流れている枝沢に水が来なくなって事実上使えないという話から、いつしか細野高原の話に移り、”中の平”の貯水場は現在は”ハート池”と呼んでいるということでした。話を聞いて私もピンと来ました。地図上で確かにハート型を横にした池の印象があるのを思い出したのです。我が意を得たり! 今後はハート池と呼ぶことにしましょう。

ちなみに、この池の土手下に顕彰碑があり、その傍にカッパ池だったか、カエル池だったか、そう書かれた古い看板が横たわっていました。もう10年以上も前の話です。






白田の二つの公園2023/05/11

八日の月曜日は、迂回路のグランピング施設を見てから白田の二つの公園でゆっくりした後、バスで帰った。
水道の第一中継場を過ぎると白田川は近い。

裏道(旧道)を行くと、ボケ封じの普応寺がある。

そしてその先に賽の神さま。

白田中央公園まで来ると国道135は間もなくだ。


更に、白田川親水公園まで足を伸ばす。
池畔に早くもスイカズラ。


水乗りでイベント2023/04/13

午後になって空を見上げたら多少かすんでいるかな、このぶんならマスクすれば影響は少ないだろうと勝手に決めて、さあ野山へ遊びに行こう! というわけで「ふれあいの森」の管理棟まで上ってから展望テラスの脇を左回りに車道に出て、久しぶりにアセビの広場へと突入しました。あの田村又吉村長以下、大勢の名前を刻印した植樹記念碑がある森です。

記念碑には明治22年11月の刻印が読めましたので、今から約130年前に植樹したということです。当時は裸の山だったのですかね。だとしたら、余程展望が効いたことでしょうね。ふれあいの森と比べると、殆ど展望は無しです。その代わり、森の中にどっぷり浸かった感があります。しかし、この山にはベンチが数多くあるのに、憩えるような雰囲気はありません。少なくとも山頂の東屋やベンチの周りだけでも手を入れて欲しいですね。山歩きする者は何らかの目標があれば勇んで出かけるものです。

帰りにクロカンに寄ったら、サクラは殆ど散り尽して赤っぽい葉っぱだけが印象に残りました。それから、芝生の広場では明日からイベントが久しぶりに開催されるとのことでした。大勢の人が準備におわれていました。