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「立岩」 ②2026/03/14

続いて12日(木)の記録です。
この日は直接、顕彰碑からスタートです。いきなりの急登から始まりましたが、人が歩いたらしい僅かな踏み跡が確認できました。方向も思惑通り右手斜め上から左り周りで続いています。暫く行くと、古い赤いペイントがところどころに見つかり、期待感が膨らみます。しかし、かなり大きな岩が見つかりはしましたが、目的の大岩ではありません。ついに一つの高まり(マップに記入した破線の先の✕点)に上がった所で、この先はギブアップ。小休止した後は下山することになりました。下山は✕点の北~東側へと回り込み、途中、コンクリートの貯水槽と足元に水道管が見つかり、これを頼りに帰還いたしました。

国道に下って改めて顕彰碑が立つ急な山肌を見上げると、樹間に大岩が覘いています。石碑の西北に位置しているので、多分この岩こそ「大岩」ではないかと考えられます。それにしても、今回の探索行はキツカッタデスネ。登山道ではないため、木立や蔓、小岩などを手掛かり足掛かりにして急な崖を一歩一歩登っていったのですから、だいぶシゴカレマシタ!
                電線の左上部に岩が確認できます
そうこうしている間に一台の乗用車が空き地に入ってきました。やはり「大岩」「立岩」を目指しているとわかりました。話を聞くと、この方は伊豆ジオの会員と分かり、結局のところ私たちも同行することになりました。私たちが「大岩」を目指して確認出来ないまま下山した旨話すと、国道を挟んでもう一つの「立岩」に同行することになりました。私たちはこの上ない味方を得たのです。

国道を少し下って今度は道の反対側の径に入り法泉寺敷地内に車を置かせてもらって出発です。

僅か30分足らずの我慢でようやくターゲットを捉えました!この尾根上からは”立岩”の様子と断定できませんが、ジオ氏が右下に下って確認そして認定できたのです。

半ドーム状の穴が点を突いていました。
下から見上げると確かに巨きな立て岩です!30メートルはある「立岩」でした。メデタシ・メデタシ!本日はこれにて充分満足して引き上げたのでした。
なお、ジオ氏にホームページがあると聞きました。「ジオ伊豆ジオ遺産」で検索すれば即、ヒットします。念のためURLを添えます。


南伊豆の立岩探索2026/03/13

今月9日(月)に松崎の宝蔵院を訪ねた帰りに南伊豆の立岩の探索を試みたのですが、うまくゆかず昨日改めて挑戦してまいりました。友人の安曇野の御仁のリクエストによるものです。

「立岩」は村の小字でもあり、地図上にも記載されてますので帰路容易にそのエリアには到着出来ました。国道136号を妻良から吉田トンネル通過後間もない所です。
そもそも、この「立岩」の存在を知ったのは伊豆新聞の「低山を歩く」シリーズで紹介があったことによるものです。街道から近い所にあり、短時間で到着できそうに思えました。記事の中に、村の子供たちの遊び場の一つでもあったような話があったのも訪れることになった理由の一つです。

さて「立岩探索」第一回は高根神社下からの小径がスタートです。ただし、この道は現在歩かれていないようで、雑草が道を覆っています。近くにいたオバサンの話ではマダニがいるというのです。そういわれて腰が引けました。3月に入って気温も上がってきています。マダニがそろそろ活動を初めてもおかしくはない。足もとを固めてないので恐くなりました。そこで、車を国道に戻して50mほど先の空き地に留めてから近くの顕彰碑を見学して第一回は引き上げることにしたのでした。

ちなみに顕彰碑とは、ご当地「三浜村の孝子五郎兵衛碑」のことで、江戸末期に老中松平定信が東浦路~下田の巡視に来た折り、三浜村に孝子がいると聞き、そのものを呼んで顕彰したという話によるものです。石碑の裏には「皇太子ご成婚記念」と刻まれていましたが。「皇太子」はどなたでしょうかね?

つづく

木五倍子と夜叉五倍子2026/03/09


黒っぽいのはヤシャブシの古い実。緑色の新しい花芽はキブシだと思うのですが。

帰りに、ふれあいの森のいろは坂を下ったら、未だ倒木がそのままになっていました。もう3年くらいになりますかね。歩く人もいないようです。

同病相哀れむ2026/03/08

またまたヤッチマッタ! なに、大したことではありません。実は、SDカード入ってなかったのです、カメラの中に。このところ暫くの間、前もって確かめてから外出を心がけていましたので何とかなっていたのにです。今月これで2回目。少し心配になってきました。そんなわけで、今回は地図だけで写真はありません。

さて、先日の話です。

国道稲取桟橋から長坂(BC)に入って間もなくでアラコ道(C~Ⅹ~Y)を行き、伊豆大島が浮かぶビューポイント(X)まで来たら、ミモザが満開になっていました。ここで写真を撮っていたら(?)、赤いヤッケの紳士が後ろから声をかけてくれました。思わず、「ミモザが満開なんでね」と応答すると、彼は笑顔を見せて軽快な歩調をそのままに通り過ぎました。私のようなブラブラ散歩でなく逞しくも軽快なウォーキングです。間もなく曲がり角で姿を消しました。

その後私がとったコースは、"堂の前の賽の神さまに軽く会釈して入谷口(E)に向かいました。そして、下り坂に入って間もなく左手から先ほどの紳士が上って来た(彼が辿ったコースはX~Y~Z~X)ではありませんか!3周目に入ったのだと言います。聞けば、1万歩がノルマなのだそうです。歩幅50センチで約5キロ。私が時々歩くミカンワイナリからヨカサカ~柚久保道経由で入谷~国道の距離が約5キロです。今や毎日のノルマには出来ません。彼はお顔を拝見した限りでは70才前後と見受けたのですが、昭和22年生れと聞いて当方より7歳もお若い78歳でした。

実は、2年前に大腸ガンの手術をしたのをキッカケに、このままではいけないと奮起して予定が無い日は去年からノルマを課してきたと言います。それから、私が山歩きが好きで日本全国歩き回って来たと言うと、奥方がやはり山好きで槍穂高などのアルプスの山によく通っていたそうです。だが、10年前に乳がんで亡くなったと聞いて残念。 

彼の話はまだまだ続きます。彼の行きつけの病院は某有名病院でした。検査も定期的に受けて万全だと思っていました。ところがある日、腹痛がなかなか収まらないので病院に行ったところ、検査で大きなコブシ大のガンが見つかったそうです。このガンが腸を塞いでいたのでした。緊急入院して即手術、12センチ余りの大腸を切り取ったということでした。それにしても、普段の主治医からは血液検査を何度もリクエストされたが、この医師は何とかという検査項目の値だけしか見ず、大腸がんのマーカーCEAやCA199の、そんなマーカーは検査項目に入っていなかったと言って憤慨していました。

しかし、このマーカーは大腸ガンの疑いがあった時に登場するのであって、大腸に限らず胃腸なども健康診断などで異常があった時、内視鏡などの精密検査を受けるという流れになるのが普通ですね。或いは、50歳を過ぎたら、胃と大腸については異常が無くても少なくとも3,4年に一度は内視鏡検査を受けるべきだと思います。私の場合は、胃腸については内視鏡を度々入れていたが、大腸については検査前の準備として飲まなければならない大量の準備薬液(2リットルの腸管洗浄剤)を前にして“畏れ慄き”検査をキャンセルしてしまったのであります。その結果がステージ2まで進んでしまった直腸ガンだったのです。つまり、自己責任としての結果だったのです。

病気の自覚症状がない患者を前にして会社や町の健診のデーター申告を受けていない医師としては、血液検査をする場合は一般的な検査項目をもとにするしかないだろうと思います。例えば、コレステロールについてはLDLが高い人にはそれなりのチェック項目はあるでしょうが、それだけでいきなり大腸に内視鏡を使った検査を指示することはないでしょう。健診の結果、大便に血液反応があったということで内視鏡検査が必要になるわけです。 

いずれにしても、現在の彼がそれまで無頓着だった運動に目を向けて、日々ノルマを負って頑張っていることは評価できます。しかもにこやかで明るい表情が毎日を豊かに過ごしていることを物語っています。大切な人を失ったり、自身、大病を経験して今尚その予後を思い惑うこともないこの方の秘密はどこにあるのか、趣味を含めて次回お会いしたらその秘密を是非聞いてみたいと思っています。


雛段飾りと防波堤工事2026/03/02

先月から始まっていたムカイの防波堤かさ上げ工事がどうやら大詰めにきたようです。
早速確認に港に下りてみました。先ずはスサノオ神社の雛段飾りは夕方の3時半で既にほぼ片付けが終わり皆さん上から下りてきました。数人の若い人たちが手にしているのがお雛様の包みでしょう。開催中は雨等の悪天でない限りは毎日出し入れするのですから大変です。お手伝い出来ないのが残念です。


さて、ムカイの防潮堤まで来ました。やはり突端から根元まで奇麗に出来上がっていました。作業員の方が一人だけ、しゃがんで作業していましたが、最終チェックでしょうかね。


先月の13日の撮影では下地に何か注入しているような状況でした。その後日でしたか前日でしたか、生コントラックも対峙していました。


この写真は先月の23日の撮影です。

ちなみに看板には、防波堤水叩きの嵩上げ工事をしていると書かれています。
「水叩き」というのはこの工事の専門用語のようですね。「みずたたき」と普通に読むんでしょうかね。堤の上を水でもってたたく・・・、面白い表現ですね。