犬走島 ― 2012/05/13
寝姿山から下田港を見下ろすと、外堤防手前の港内に右から長い堤防が左に走って小さな島に直結しているのがわかります。左端には白い灯台も見えます。ペリー記念碑の次はこの犬走島に向いました。
ジャパン・コースト・ガードと書かれた海上保安庁の大きな船が岸壁に係留されていて、そこを過ぎると、その隣の神新汽船のフェリー発着所の先に堤防の入り口がありました。山側にはその保安庁の庁舎が建っています。
島まで伸びる堤防の長さは地図上で測ったら333mで、更に灯台までなら457mもありました。相当長い堤防です。幅は3mくらいありますので、歩くのに心配はありません。潮位も安心できる高さです。島寄りの方で数人の釣り人が竿を伸ばして歓談していました。ここは釣り人のメッカのようです。
島に“上陸”すると、懸崖に短いトンネルが掘られて、その先に灯台が立っていました。また、トンネルの右側には天然の洞穴が海上に覗いていました。
灯台の基部から下田湾をぐるりと眺め渡しながら、その広さをあらためて再認識します。両翼に水車を擁した黒船がやってきました。ペリー艦隊もこうして進入してきたのでしょう。
灯台に嵌められた鉄板には「西防波堤燈台 初点昭和46年3月」と刻んでありました。防波堤で思いを致すのが1854年の安政の大地震による津波です。この年には日米和親条約が締結され、その後を追ってきたロシアのプチャーチンが日露和親条約締結のため江戸幕府と交渉を始めたばかりでした。
資料によると、下田町内の総戸数875戸のうち841戸が津波で流失全壊、30戸が半壊、無事の家はわずかに4戸ということですから、下田は壊滅状態に陥ったと言われます。
ちなみに、翌1855年に日露和親条約は締結されましたが、プチャーチンが乗ってきたディアナ号も津波の被害を受けて、結局、西伊豆の戸田で代船の建造を始めることになります。
今回は初めて犬走島に来て、開国の町、下田にあらためて思いを馳せるきっかけができました。今年は少し下田の勉強をしなければなりませんな!
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