天神原遺跡 ― 2013/04/06
東伊豆町のHPによると、東伊豆町の教育委員会が指定した町の埋蔵文化財包蔵地は32か所にも及びます。そのうち稲取地区は最奥の松峰遺跡から海岸に近い上の山遺跡まで合計21か所です。
私がこれまで訪ねたのは細野遺跡、茶の平遺跡、吉久保遺跡、上の山遺跡の4か所で、本日5か所目の天神原遺跡を訪ねてきました。町のHPによると、天神原遺跡からは縄文土器・石鏃・石皿・石斧・(打・磨)、そして、弥生土器・土師器など、出土した種類は32か所中で一番多くなっています。
実地に訪ねてみるとわかりますが、カヤの寺から小学校へ向かう一番の高台から東側(海側)に比較的平らな高台が南北に伸びています。北は清光院の裏側から善応院や吉祥寺が背にしている台地が天神原です。
今朝は第6分団の倉庫が開いており、壁に掛けられた略図に天神原に上がるルートが描かれていました。先日も通ったそのルートをゆくことにします。「しぐれ庵」の脇を上がって「尾の上権現」さんに挨拶してから、海側に沿って清光院の裏側の細い路地を進みます。
やがて海側にくぬぎ?を植林した一画の向こう側に畑が細長く続きます。「埋蔵文化財包蔵地」の白い角柱は宅地側の畑の道端に立っていました。実は先日の雨の日に、たまたま海側の畑で作業していた人に訊いて場所を確かめてありました。
彼の話しでは角柱は宅地側に立っているが、土器などは海側の細長い畑を含めてこの台地一帯で広く出土したものだということでした。上の山遺跡と同じように海に近い台地です。同じような環境の台地に近くは崎町遺跡があります。いつか訪れてみましょう。
ところで、ここではどんなものが出土したのか、この目で見たいものです。特に土師器は弥生土器の流れをくんだ土器だそうで、今まで3か所の遺跡で見せていただいた中にはなかった物です。
それを思うに、やはり東伊豆町にも歴史民俗博物館が欲しいですね。規模の小さい郷土史資料館程度のものでも、一堂に資料が集められたら、子どもの教育は勿論のこと、各方面に資するところ大なることは明らかです。
最近使われ出した言葉に、「豊かな想像力」という言葉があります。優れた知見を引き出すにはこの豊かな想像力が必要です。そのためにも郷土博物館が欲しいですね。
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