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稲取中学校体育館2016/09/07

伊豆稲取中学校体育館
稲取港が青森などから来たイカ釣り漁船で賑やかなりし頃の話です。
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『稲取中学は昔からバレーボールやバスケットボール、卓球等、球技の盛んな学校でした。その実力は伊豆では屈指の学校として知られていました。

しかし、県大会などのレベルになると、もう一つ力が足りず、ここと言うところでいつも苦杯を喫していました。強くなるにはどうしたら良いか、やはり、一に練習、二に練習です。生徒たちはグラウンドで猛練習を続けました。

でも、雨の日は練習が出来ません。大会での成績が伸び悩んでいれば、誰しも練習の場が欲しくなりますね。雨天体育場、つまり体育館があればなあ、という思いがみんなの胸の内に芽生えて来ていました。しかし、残念ながら、賀茂郡下では体育館のある中学校は皆無でした。

そんなある日、日中は暇なイカ船の漁師たちが夏ミカン畑で“落ちミカン”を拾っているのをよく目にするようになりました。それをどうするのか訊くと、段ボールに詰めて青森の自宅に送るのだという。そのまま食べても好いし、ジャムなどにも出来る。

このことを実際に見て聞いた生徒の一人が、これは体育館建設の資金の一部にならないか、指をくわえて見ているだけでは脳がない、集めるくらいのことは自分たちでも出来る、その後のことは大人に任せよう、と考えました。そして、その考えを学級担任の私のところにぶつけてきたのです。

“落ちミカン”というのは、地元の私たちにとっては当たり前の見慣れた光景でした。夏ミカンは成熟するまで枝に付いたままで留まっているのが、完熟ミカンとして最上級のランクで出荷出来ます。途中で落ちてしまったミカンがあれば、枝に残っているミカンにその分の栄養が回ってきます。摘果と同じことなのです。

生徒の申し出に最初私は戸惑いましたが、生徒のアイデアと夢をつぶすわけにはゆきません。校長と一緒に町長のところに話を持ってゆくことにしました。その間、この生徒を中心にして、部活のメンバーは自分たちで作ったビラを町内に配って歩くなど、体育館建設の運動を始めました。“落ちミカン”収集についての理解を生産農家に求めて廻りました。

当時、学童人口は多く、稲取中学校全校で16クラス600名が在籍していました。各農家の理解を得てから、私たち教員もこの子供たちを動員して“落ちミカン”の収集を始めたのです。

当時の木村町長はそうした機運の高まりを肌に感じ、体育館の必要性も理解したうえで、早速、この事案を推進することを決め、詳細を纏めてから町議会に提出し、賛成多数を得て遂に体育館は建設の運びとなりました。

思うに、子供たちの切なる思いとアイデアが大人の心を動かしたのです。私はこの話を思い出すたびに子供たちの自主性と可能性の大いなることを考えないではいられません。そして感動して目頭が熱くなります。

ちなみに最初に話をぶつけてきた生徒は、某家具メーカーの次男で、後年、ヨーロッパに渡り、外資メーカーの重鎮として現在活躍しています。だいぶ前に教育関係の本を何冊か私の所に送って来ましたが、国語が専門の私は英語の本を読むことが出来ません。すると、すかさず、この教え子に言われました。校長ともあろう人がこの程度の本が読めなくてなんとします! と逆に発破をかけられました。とにかく、この生徒は、実行力のある優秀な私の自慢の生徒でした。』