馬鹿ばやし ― 2010/07/15
先日、ラーメン屋のフナさんが“馬鹿ばやし”には三つの物語がある、と言って、ひとつひとつ説明してくれました。ところが、よく聞き取れなかったことと、私も最近は記憶力が衰えてきているのとで、この場に披露出来ないのは残念です。またの機会にボイスレコーダーにでも吹き込んでもらいましょうか?!
稲取の“馬鹿ばやし”は明治の頃、稲取病院の初代院長西山五郎が奥多摩の青梅から芸人を招いて若者(若衆)たちに指導してもらったのが始め――金指徹著「稲取風土記」――だそうです。
今朝、その“馬鹿ばやし”を垣間見るチャンスがありました。10時から始まるという‘浜のお仮屋’の三番叟を見物しようと、向井の海岸どおりを急いでいたら、屋号“畳石”の前で演じられていました。
若衆の踊りは単なる踊りではなく、笛や鉦の音に乗った完成度の高い演技そのものでした。これならフナさんのいう物語が読めそうだ、と思いました。しかし、きょうは三番叟を見なければなりません。少し観賞しただけで、やむなくその場を離れたのでした。
私たちが習志野の住人だったころ、“ばか面踊り”というのがあって、こちらは子どもたちが車の上の舞台で面を付けて踊っていました。おかしな仕草で踊るのは同じですが、振り付けは単純なものでした。
実は習志野と言っても、習志野駐屯部隊があった習志野ではなく、海を埋め立てて作った新興の団地で、したがって、古くからの伝統伝習などないところです。もちろん、神輿などありません。新興団地内には神社がないのです。
”馬鹿ばやし”にしろ、”ばか面踊り”にしろ、ルーツは同じものと思われますが、継承の仕方が違っています。片や、”村の鎮守の神様”のお祭りのなかにあって、今や伝習化されつつあるのに対し、片や、子ども会の”お楽しみ行事”の一環であることです。
明日、天王さんのお山入りの前に、ひょっとしたらどこかで見物できるかもしれません。どんな物語なのか、確かめておかねばなりますまい。
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