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”ヤミカゴ”2016/09/27

戦中、戦後のある時期まで“ヤミ米”という言葉が跋扈していましたね。そして殆どの人がこの“ヤミ米”を買って食べていたと思います。私も母に連れられて一度買いに行ったことがありました。訪ねた先は普通の民家だったと記憶しています。当時は食料不足から食料管理法でコメの自由な販売が規制され、配給米を購入するのが合法的な手段でした。

ところで、“闇市”でお米が売られていたかどうかは知りませんが、ここ稲取ではミカン、それもナツミカンが闇市で売られていたことは、ミカンの産地としては部外者でも想像できることです。稲取では、今ではアマナツなど美味しいミカンが栽培されていますが、当時は酸っぱいだけのナツミカンがよく売れたそうです。それも未だ青いままのものまで買い付けに来る人たちも多く、農家は繁盛したようです。

そんな時にそこで登場するのが“ヤミカゴ”でした。あの大きな背負いカゴの中に青物を入れて農家のご婦人の方々が闇市へ運んだのです。私は最初、この言葉を聞いたとき、“アミカゴ(竹で編んだカゴ)”の意かとも、また勿論、闇市へ運ぶことからきた言葉かなとも思ったのでした。そして、昨日はからずも“ヤミカゴ”を背負った年配のご婦人から、以上のような話を聞くことができました。今では“ヤミカゴ”と呼ぶ人は少ないだろうということでした。

ただし、その後、車が普及してくると、運搬の手段としての背負いカゴは主役の座を降りました。今ではご主人を亡くしたお年寄りがたまに背負って歩いている姿を見るだけになりました。

ちなみに、主にミカンを運んだ背負いカゴは背丈を超える細長いカゴだったそうです。山小屋に食料品などを運ぶボッカのような恰好のものだったのでしょう。

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