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農免道路2019/09/23

<伊豆石の置き場>

つづいて「柳窯」への道は荒巻のハウス群に下りる道で、この枝道には入らず、このまま農免道路本線を行くとすぐに伊豆石の置き場があります。伊豆石は彫り物などに適した石で墓石や庭石などによく使われた石です。

 

いつも懐かしく感じる”峠の我が家“が生い茂った草木に埋没しかかっていたのには残念!かつての風景は消えてしまうのか・・・。

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農免道路沿いにある四等三角点は健在でした。やはり草の中に隠れていましたが、草を払うと姿を見せました。ここから枝道が海側に続いており、茶の平経由で水下方面に出られます、帰りはこの道を選びます。

 

今回はこのまま広い道を直進します。二つ三つ上下を繰り返して河津見高との境界が近づいたと思われる頃、右手に知人の所有する一画を見つけました。左隅に小道が上がっており、左隣が竹林であることを確認します。

 

でも、やはり想像していたように、あのよくキチンと整備された南斜面の土地は今や原始状態に戻って周りの山の一部分であるに過ぎません。知人が丹精込めて作り上げたブランコなどの広場は、あらかた生い茂った草木に占領されていました。

 

小道を少し上がって広場への入口に立っても、網目状のゲートの内側は全く見通しが立たないほど森の中でした。ゲートから細い道があったはずなのに。そして、数えきれないほど立木を切り倒すために彼は電動ノコギリを二つも用意し、病後の徒然を慰めリハビリを兼ねてコツコツと進めた“一大事業”だったはずなのに。

 

広い通りに戻ったら、隣接する山で草木を切り払う音を立てていた人が近くに下りてきていたので声をかけます。スイッチをオフにして聞いてくれました。ラッキーなことに、この方は知人の家の近くに住んでいる人でした。知人は今でも毎日元気に犬と散歩しているという。

 

この話で私の今回の目的は十分達せられました。彼とは散歩で知り合っただけの仲ですが、病友でもありました。しかも、彼とはご当地に私が移住して間もなくの頃に志津摩で初めて会い、23年前に東京から移住してきた先輩たったことを知りました。そして、その時彼が大腸がんの手術をうけたばかりだったことを聞かされます。それから間もなく私も同病で手術し、“相哀れむ仲”となりました。

 

水下にある固く閉ざされたままの彼の自宅前を通るたびにチョットだけ忍び込んできた暗雲をここに来てすっかり晴らすことが出来ました。

〽まちをあるく こころかるく だれかにあえる このみちで ・・・〽 習いたての「おおシャンゼリゼ」の曲が口をついて出てきました。

 

こころかるく、四等三角点に戻って枝道に入りました。暗い森の中を暫くの我慢で「茶の平遺跡」の古い標柱を再確認し、「荒巻」の南端に出ました。はるかにふれあいの森が遠望できるこの地は盆地状に広がる台地で、多分、森を切り開いたのでしょう。園芸用ハウスが数多く並んで建っています。

 

その後、志津摩川にかかる“さじめ橋”を渡って水下の知人と久しぶりの挨拶を交わし、バス停水下で国道に出て小学校のグランド脇のバス通りを行くころには膝が少し痛み出して、ついに「生き生きセンター」前のバス停からバスに乗って帰宅。23分の待ちで乗れたのがまたラッキーでした。