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”はなれ”の”小池”2017/06/26

ポーチュラカ
東町の知り合いの人から“はなれ”の話を聞きました。昔、子どもの頃にはよく“はなれ”で遊んだものだと。あの頃は釣りではなく、モリで魚突きするのが普通だったという。

彼は長じて東京で会社員生活を送り、ある年のこと正月休みで帰省した時、ミゾレの降るなか“はなれ”の“小池”で泳いだそうです。勿論ウェットスーツを着て、です。東京とは違って、稲取は真冬の寒さを感じさせない暖かさが嬉しかった。

そして東京に戻ってほぼ2週間後に、あの伊豆大島近海地震が発生したのです。昭和53年1月14日のことでした。その後、暫くしてから帰省し“はなれ”に来てみると、何と池は崖が崩れて、あとかたもなく瓦礫で埋まっていたそうです。

現在、“小池”は銭湯の広さ位しかありませんが、それでも深い所では2mくらいはあります。この地震の前は“小池”とは言え、かなり広かったのでなないかと想像されます。

私は最近は病を得てから、殆ど“はなれ”を廻ってはいません。毎週のように磯歩きをしていた頃が懐かしい。蒸し暑い日が続いています。そろそろ歩いてみようかな。