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大相撲の張り手2022/11/28

大相撲九州場所は昨日、三場所連続平幕が優勝という結果で幕を閉じました。横綱不在の場所はやはり少し寂しいですね。ところで、今場所あらためて気が付いたことがありました。張り手のことです。この四十八手の一つでルール上、容認された手ではあります。しかし、今の時代、どうでしょうか。この時代にふさわしいといえるでしょうか?一般に暴力に対する拒否反応はかつてないほど高まっています。こうした流れでは人の顔を叩く光景を見せられると、スポーツであれ何であれ、見苦しいと思う人が多くなっているのではないでしょうか?

          ふれあいの森で今日見つけたマンリョウ 

相手の顔をひっぱたいて、相手がひるんだところで先手を取って攻撃する、というのが相撲の“張り手”です。一種の卑怯な手といっても言い過ぎではないと考えます。先に引退した横綱の一人はその最も充実した頃にはその“手”を使うことはなかったと記憶します。それが横綱としての晩年には殆どの取り組みでその”手“を使っていました。同格、あるいは上位の者に対して使うならともかく、下位の者に対してその”手“を使っていたのです。これを見て見苦しいと思われた方が多かったことと思います。実際、それが不人気の評判にも繋がっていました。連勝を重ねたその横綱は、その”手“を使うことになった頃は本人自身、力の衰えを感じていたのだと思います。つまり、衰えを”張り手”でカバーしようとしたのです。言い換えれば、その時に“張り手”ではなく引退を選択すべきだったのです。彼の残した金字塔にキズが残ってしまいました。 

ところで、今場所いや少し前からその”手“を使う大関が現れて驚きました。特に今回の千秋楽の取り組みで喧嘩でもしているように乱暴な”その手“を繰り出したのです。勝負には勝っても、後味の悪い印象が残りました。そしてその後の優勝決定戦では、”その手“を繰り出した瞬間に相手方は”その手“が自分の顔に当たる僅かなスキを捉え、見事先制攻撃に成功し優勝旗を勝ち取りました。右手なら右手で張り手を使えば、右脇が開きます。そのスキを相手方が突いたのです。アッパレ!ですね。 

今朝の新聞を読んで、今行われているサッカーワールドカップの記事の中に「伝統は変革を伴ってより良い伝統を産む」というような記事が印象に残りました。これは日本代表チームの歴代監督の各時代に合った指導理念を説いたなかでの発言で、制度やルールについての話ではありませんが、同じようなことが大相撲のルールにも考えられます。大相撲もこれまでそれなりの改革を遂げて現在があるのですから“張り手”を禁じ手にして四十七手に変える勇気を是非持ってほしいと思います。


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