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稲取の盆踊り2018/08/05



昨日夕方になってゲタがない、と女房殿が騒ぎ出した。盆踊りには、いつも履いていた駒下駄だ。子供の履き物のように小さくて可愛いゲタだった覚えがかすかにある。夕食を早めに済ませると、ユカタとゲタの装いで、団扇を手にいそいそと出掛けて行ったものだった。

 

やがて、下駄箱をガタガタ探した後、諦めたかのようにため息をついて言った。「あーあ、やっぱり捨てちゃったんだわ」

そこで履物屋に置いてあるかもと、稲取の“下駄屋”さんに電話してみた。稲取では屋号と現在の実際の商売とが違うので有名だが、「直下駄屋」さんにはゲタはなかった。他にも屋号「下駄屋」さんがあるが、このお宅ではもう商売はしていない。新宿通りで日常品も扱っている洋品店にも電話してみた。しかし、残念、やはり置いて無かった。

 

下駄を諦めた女房殿はそれでも気落ちすることなく、「ユカタに運動靴では格好がつかないから、平服で行くわ」と言って、夕食もそこそこにまだ明るい6時過ぎには役場前へ出かけて行った。昨日も暑かった割に、日中は日差しが弱く風も出てきて少しは涼が得られた。

 

7時半を過ぎると漸く日が暮れて、彼女の帰りが心配になった私も結局、会場を覗いて来ようという気になった。会場に着くと、役場前の通りは交通止めのような格好で通りのど真ん中に朝見てきた櫓ステージが置かれ、一番上に太鼓打ちが一人、ステージには浴衣姿の数人の“踊り子”さんが身振り手振りよろしく曲に合わせて踊っていた。

 

ステージの外回りに一般の“おどる阿呆”は意外と少なかった。それでも観客は海側に陣取って盆踊りの様子を見て楽しんでいるように見えた。ピンクのシートを屋根に張った夜店の並びも結構繁盛していた。子供たちの姿も。

 

意外と少なかった外回りに女房殿の姿を認めるのにはそれほど時間はかからなかった。殆どがユカタ姿の中に忽然と普段着で現れた彼女は、そんなナリを少しも気にすることなく踊りに集中していた。踊りそのものを芯から楽しんでいるように思える。「盆踊りの曲が響いてくると手が、体が自然に反応するの」と、いつも嬉しそうに話していたあの体の動きだ。

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「稲取の人たちはどんな踊り方をするのか、ちょっと見るだけでいいの」と言って出て行った彼女だったが、もう8時をまわっている。曲の切れのいいところで、そろそろ帰ろうと耳打ちしたところ、未練のありそうな表情を見せたが、それでも納得して言った。「やっぱり、歳だわ。若いときは何時までも踊れたけど、足が疲れてきた」と言って近くの、ちょうど空いていたベンチに引っ込んだ。

 

下町の情緒を愛した彼女にはゲタが一番似つかわしい。来年も盆踊りが開かれるなら、前もって下駄を用意しておくことにしよう。浴衣で踊る姿をもう一度見てみたい、そう思った。