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2本の鉄索2012/04/11


3月21日の当ブログでmonmaさんからいただいたコメント(3/26付き)の中に、“バリカン山”の中腹に2本の鉄索があった話がありました。少し思い当るふしがあって、先週の日曜日に確認してまいりました。
 


一望閣から吉久保の谷川の道に入り、大川と洞川が合流する“水垂”の少し上を行きます。洞川を渡り大きな堰堤を見上げながら、バリカン山に回り込むところまでコンクリート舗装されており軽自動車が通れます。上がった所はミカン畑で、小屋の少し上に鉄索用器械がありました。

バリカン山と鉄索


しかし、バリカン山の全景からすると、その器械がある場所は山の中腹の左端に近いところで、どうも、monmaさんのお話の鉄索とは場所ルートが違うようです。鉄索は今でも残っていて、洞川と大川が合流する手前で両川の上に架かり、吉久保に渡っています。
 


ミカン畑を通って7号鉄塔の方へ向かい、近くで作業中の農家の方に訊くと、この鉄索はミカン等の収穫物を鉄索に架けて運んだが、今ではこの中腹まで車が入れるようになったので使われていないということでした。残念ながら、探索の結果は別物と判明したしだいです。

<中央の小屋の上から縦に鉄索がかかっています> 


ところで、私はこの日、山に上がる前に“やっさか”さんから鉄索の話しを聞いていました。やっさかさんは84,5歳の方ですが、子どもの頃にバリカン山の裏側でススキや芝草を刈り取って丸く束ね、鉄索にカギのようなものを引っかけて東田の上まで運んだ経験があるというのです。詰まり、バリカン山の頂上付近まで刈り取ったものを運び、そこから鉄索に架けて現在の“あさうらや”さんの少し山側の辺りに着地させていたと言うことです。
 


翌日、志津摩へ散歩の足を伸ばした時、たまたま水下の、やはり85,6歳くらいの水田農家の方にこの話しをしたところ、オキノハラで刈り取った芝草をバリカン山から鉄索で降ろしていることは知っていたそうで、鉄索は2本あって、一つは向井、もう一つは大畑地区のものだったとも。そして、丸太を三角錐状に組んで、鉄索を支える土台にしていたと話してくれました。刈り取った芝草やススキなどはミカン畑に敷くためだったそうです。

 


“バリカン山”に鉄塔が立ったのが昭和36年10月ですから、多分、その頃までこの鉄索は子どもたちの遊びや悪戯をも含めて大活躍したと思われます。