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ザイルクライムのルール2024/03/16

きのうは芝生広場の遊具施設の前で休憩した時、その前に看板が立っているのに初めて気が付いたんです。この遊具が「ザイルクライム」ということも初めて知りました。seil climb と書いてあるのも最初ピンとこなかったのですが、seil がドイツ語と分かれば納得です。英語で統一すれば rope climb ですね。まあ、日本語で「綱登り」というのをロープ登りとしたり、綱クライムとするよりはザイルクライムとしたほうがかえって親しみやすいですものね。
この遊具で遊べるのは6歳から12才までと書いてあります。念のため。




蟹が森にて2024/03/15

昨日は奈良本図書館の音読の日。例によって小橋まで行かず、片瀬バス停で下車。バス停から片菅神社方面へ少し歩いて右に山道へと坂を上がる。横平尾根を越えて奈良本へ向かう急な九十九折の道だ。30分ほど喘いで尾根に乗ったとき、尾根道の西の方から二人連れが下りて来るのが見えた。尾根道は西方が東方よりやや高い。近づいてきたところでお年寄りのカップルと分かった。 

聞けばやはり散歩だった。蟹が森のお宅から平坦な台地を西に向い、尾根道の末端に出て周回する途中だった。約2キロ、3、000歩が毎日の日課だという。時に調子が良いと、坂町から上がってくる東浦路まで歩き、そのまま小学校を回り込んで蟹が森に帰着するそうだ。ご主人は85才前後、奥様が75才前後とお見受けした。奥様の口から、ご主人が腰痛持ちなので無理しない程度の散歩ということだった。

               蟹が森ポケットパーク

「蟹が森」と聞いて早速聞いてみたら、やはり考えていた通り「蟹が森」は記念碑を中心とした平らな台地一帯を意味し、今でもやや大柄なカニが見つかるという。カエルも大きめだそうだ。この台地は火口湖だった昔がある。かつて2000年ミレニアムの年の6月に三宅島で火山性の地震があった。この年の5月に私たち家族はこの島に旅行しており、後で噴火の事実を知った時は驚いたものだ。そしてその旅行の帰りに、タイロ池という沼地の周りに大きめの黒っぽいカエルがそこら中に見られたのを思い出し、あれは地震の前触れではなかったかと、その後幾度となく家族内でよく話題にのぼったのだった。 

蟹が森は昔火口湖だったことから大雨が降ると水はけが悪く、一帯は水浸しとなり作物などに大きな被害を与えていた。そこで昭和63年に排水溝の工事が行われ、区画整理して現在の姿になった、と概ねこんな内容の文章が記念碑に刻まれている。実はこの工事に関係して、新潟からこの地に移り住んだのがご主人のご尊父だった。当時、クレーン車等の重機会社を始めたご尊父の元で彼はオペレーターとして会社を支えたのだった。会社を2代目として継いだ時には日本経済のバブル期で仕事は幾らでも舞い込んできた。この蟹が森からも見える万二郎、万三郎の天城の山裾に貼り付くように点在する別荘団地などを指さししながら、彼は多忙な毎日を過ごした日々を語ってくれた。今はもう三代目にバトンを渡して余生を楽しんでいる。 

この蟹が森に立つと、ひと際目立つのが民家の屋上に立つ展望台のようなこじんまりした施設だ。この甕が森に来る度にいつも見上げては想像をたくましくしていた。そんな思いを吐露したら、これはこの家の長男が大学院に入った時に増築してもらった個室なのだと彼は言った。この部屋は360度の景観に囲まれている。天体観測でもしていたのだろうか。彼が移住してきた頃はまだ民家はなかったが、工事が竣工後はぽつぽつと建ち始めた。この展望台のある家はそんな頃に出現したのだという。 

彼の隣家の敷地には菜の花がほぼ一面に咲きそろっていた。彼の家の畑も広大な蟹が森の一角にある。しかしその後、土いじりも引退して放っておいたら、近所の人が菜の花の種を蒔いてくれた。この地の人たちの優しい心配りが有難い。彼は余生を暮らすのに最良の環境だと言って憚らなかった。


山焼き2024/02/10

今年の細野高原の山焼きは本日行われました。
役場の広報によりその旨放送されたのを聞いて、それではと今朝は浅間山に登って遠望するつもりで出かけました。ところが、ゴルフ場から浅間山に向かう道の手前で、知り合いの軽トラから黄色い声が飛んできました。細野高原の山焼きを見て来たとのこと。私も同じく浅間山に登って見て来ると答えると、浅間山は車では往けないから、と言うのです。ここで私の早合点の癖が出ました。クラブハウスの先の道を詰めて細野まで走ったのだなと。そこで、クラブハウスから先の道を詳しく聞けばよかったのです。折角のチャンスを逃してしまいました。クラブハウスの前で悔やんでも遅い。

つまり、浅間山への分岐点に来て、行く先を細野高原に変更したのです。この道を細野まで行けば広大なゴルフ場を一周したことになる、との思いがありました。ヤマハンノキHW(実はヤシャブシ街道)からゴルフ場の縁をたどって、「中の平」経由で細野高原を何度か歩いているけれども、ヤマハンノキHWの入口からクラブハウス経由で細野へは私としては未踏なのです。

クラブハウスに到着しました。煙が上がってます。

そして火の手も!

クラブハウスにフロントマンの姿がありません。そこで奥の駐車場脇を通ろうとしたとき、軽トラがやって来て止まりました。ここまでです。切り口上、しかし丁寧な言葉が飛んできます。ゴルフ場の敷地内でプレーヤーもいて危険です、と言う。当方としても承知の上です。非は当方にあり。潔く引き返すことにしました。

やはり、浅間山入口~499mの檜山~628mの桃野山(仮名)の尾根通しをゆくしかないと観念した次第です。そうすると私は既に稲取ゴルフ場を一周していることになります。この尾根を2~3度往復しているからです。遠巻きですがね!

サクラの広場2023/08/28

「サクラの広場」というのは、ふれあいの森の入口とも言うべき場所、即ち管理棟や展望テラスのあるクロカンコースの下に位置する広場です。この広場はジャンボ滑り台が人気です。他にもブランコ、普通の滑り台、そしてシーソー等があります。

今朝はコトリのランドマークの最上地点から展望テラス経由でサクラの広場に降りたら、ナント、ジャンボ滑り台の着地点にある休憩舎(吾妻や)の屋根がごっそり潰れているではありませんか!近寄ってみると4本柱が全部折れていました。

先日の台風や大雨などで被害を受けたのでしょう。老朽化もしていたかもしれません。とりあえずロープを回して立入りできないようにしてありますが、ペシャンコになってますので、危険性は少ないです。でも、なるべく早く修築して欲しいですね。




小丸山から文化公園へ2023/06/03


小丸山から直接民家の間の狭い道を”ドンツク通り”へ下りると文化公園は間もなくです。外側の方の足湯は何時の間にか、外壁を無くして柱だけになっていました。公園全体が見通せて開放的なのは悪くないですね。

暫くしたら、知人が奥のほうの足湯から出てきました。この方とは14年来の知り合いで、以前は犬を連れて良く散歩していました。最近は足湯に来るのを日課にして体長は頗る良好だといいます。この後は午後4時を過ぎているのに、これから近くの畑で作業するということでした。
その後、どこからかバラバラと数羽のムクドリが目の前の芝生に舞い降りてきました。稲取では時々目にする程度ですが、以前、千葉にいたときは千葉工大の庭やイオンの近所に毎日必ず見慣れた風景でした。夕方、大挙して舞い上がり、大きな黒雲がいろいろな形に姿を変えた生きもののように大空を群舞していたものです。


今日は珍しい瞬間を見せてくれました。
おわり