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晩春の細野高原2012/05/19


今日は散歩の足を伸ばして、久しぶりに細野高原に上がりました。パラグライダーが浮かぶ細野高原を見たい、という知人の希望があって、あくまでも散歩が目的です。

中山1号湿原近くから


1時間40分で山菜狩り受付所に到着し、中山2号湿原までで約2時間半。帰宅までに4時間弱かかっていますから、やはり散歩としては長すぎる距離です。が、まあ、たまにはいいでしょう。
 


肝心のパラグライダーの姿は、2機がはるか上空に浮かんでいるのを認めた以外は、遠く三筋山の中腹で発着を繰り返す色とりどりの翼がかすかに目撃できただけでした。


持参した200ミリレンズで捉えたのを能力分だけ(サイズ47523168)引き伸ばしたのがこの画像です。やはり三脚にセットして撮影してませんのでボケています。

晩春の細野高原は初夏の装いですが、木陰に入ると、ほのかな風がまだ少し冷たく、そして火照った体に気持ちよく感じられて、この辺りを散策するには絶好のコンディションです。まだしばらくは三筋山のハイキングも楽しめそうです。近いうちに今度は一日がかりで歩いてみることにしましょう。

志津摩遊歩道の飛び石2012/05/18


久しぶりに志津摩の海岸に下りてみました。真夏のような日差しを受けて、海岸の遊歩道にはハマダイコンが群生し、名も知れない他の花や植物が繁茂していました。
 


そんななか、町の委託を受けた方でしょうか、円盤のまわる除草機で茂った草や蔓を刈り取っている人がいました。炎天下で大変な仕事です。
 


ところで、遊歩道には飛び石で沢を渡る部分が二か所あります。坂下川と志津摩川が河口で隣り合わせになる場所です。従って、飛び石は二つの沢に連続しているのですが、そのうちの志津摩川側の飛び石が決壊している箇所がありました。しかも、大きな岩が飛び石の一つに寄りかかるように止まっていました。

飛び石の決壊



これは、先日電車が一時不通になった時の大雨が原因で、大岩が押し流され飛び石も決壊したのではないかと思われます。沢の流れのエネルギーはかくも恐ろしい。
 


この決壊した飛び石のところは小さな石を集めて渡りやすいようにしてありました。周りの農家の方の気配りでしょうか。ただ、少しバランスを崩すと足元を濡らすことになり、或いは転倒する虞もありますので、やはり修復工事が必要でしょう。
 


その際、大掛かりな工事をする余裕があるのであれば、飛び石を全面的に嵩上げすることも検討してもらえたら有難いですね。夜中、雨が降り続いた翌朝は必ずここは通れなくなります。流水が飛び石を越えて一面に覆ってしまうからです。

でも、そんなときは靴を脱いで裸足で渡るのも一興かも知れませんね。

ロウクチ2012/05/16



昔、浜の方に住んでいた人が耕作地を求めて山奥にやってきました。彼はシイの木で作った杖をついていました。やがて十分な広さを持つ平らな場所を探し当てました。直ぐ脇には沢が流れ、田圃を耕すには好条件の場所でした。
 


彼はこの場所を終の棲家と決めたとき、庭に愛用したシイの木の杖を立てました。すると、その杖がいつのまにか根付いて枝を伸ばし、葉を茂らせました。その家は代々続き、現当主は20数代目になるという。シイの木は時を経て大木になり、今も瑞々しい葉を茂らせ、秋にはたくさんのドングリを落とすということです。

 


奥入谷に“ロウクチ”という場所があります。グーグルの“地図上の”ロウクチが気になって、本日、歩いてまいりました。雨上がりの山道は清々しく、ギラギラの日の光も木々の葉が遮って影を作ってくれます。

 


“ロウクチ”の手前で送電線鉄塔の保守の現場に通りかかりました。高い鉄塔の先端に上って何やら作業をしています。少し離れた別の鉄塔にも、3名の姿がありました。青い空に眩しく映りましたが、それは羨望が混じっていたからかもしれません。
 


さて、“ロウクチ”に来て、道が鋭角に曲がる所に下へ降りて行く細い道があります。いつも横目に通り過ぎていたのを、今日はこれに従います。クサリのシャットアウトをかいくぐって下りて行くと、間もなく前方に池が現れました。


カルガモが人の気配に驚いたのか、急いで池の中に入りました。いつぞや、この場所に通りかかったとき、町委託の作業員の方から聞いたあのカモです。確か、白田の公園からこちらへ移したとか。

 


それはともかく、池はシラヌタの池を少し小さくしたくらいの大きさで、前方に大きなコンクリートの堰堤がありました。多分、堰き止められて池の溜りができたのでしょう。地図を見ると、この沢はあの送電線鉄塔稲取1号の脇を平波に流れ落ち、水垂で大川に合流することになります。


ところで、この堰堤から先に菖蒲田があったこと、そしてそこを流れる沢が菖蒲沢であることを、帰途、“よかさか”の下で古老からお話を聞くことができました。この方には稲取発電所の取水口の場所についてご教示をいただいたことがあります。
 


しかし、ロウクチについては、この方の話では、中の平~アニマルキングダムの道路の上側、即ち現在の稲取ゴルフ場のある部分のあざなだと言います。そして、右へ順に“萩の平”、“せりの平”があって、白田との境界になるとのこと。更にロウクチの上が“しろつち”、萩の平の上の部分が“こしき”なのだそうで、昔はそれぞれに意味があったことを偲ばせます。
 


前に、ある方から浅間山の西隣りの池があるゴルフ場の辺りを“背戸の入り”と聞いたことがありますが、この方は“せりの平”と呼んでいました。それから、ロウクチでは土が粘土質で紫色をしていたと言います。ロウソクのロウのような感じからロウクチという名がついたのではないかと言うのです。
 


実は冒頭のシイの木のお話はこの古老から聞いたものです。奥入谷が昔から稲取の人と関わりがあったというのは、それぞれにあざな(字)があることで理解できます。そしてまた、それぞれに隠れたストーリーがあったに違いないことを思うと、興味は尽きないものがあります。


「星が導く旅のはてに」2012/05/14

「星が導く旅のはてに」スーザン・フレチャー 作 冨永星 訳 徳間書店

新約聖書の中の「マタイによる福音書」と「「ルカによる福音書」にはイエス・キリストの誕生についての話しが記されています。そして、その誕生にからんで賢人(マギ)がベツレヘムに旅した記録が「マタイによる福音書」に載っていることから、著者はペルシャを舞台にして王家の血筋を持つ少女とその弟を独自に登場させて壮大なロマンを書き上げました。

弟は他人の現在や未来を夢で見ることが出来る超能力を持っています。本書はこの姉弟と三人のマギとのベツレヘムへの旅の物語です。言うまでもなく、ベツレヘムはイエス・キリストが誕生した町ですが、弟の夢による予言と賢者が駆使する占星術とで、彼らはベツレヘムに辿り着きます。

広大な砂漠を行く旅は厳しいものでした。その中で、主人公の少女が誇り高い女から慈悲を理解する人間性豊かな女に成長してゆくところが感動を呼びます。

犬走島2012/05/13


寝姿山から下田港を見下ろすと、外堤防手前の港内に右から長い堤防が左に走って小さな島に直結しているのがわかります。左端には白い灯台も見えます。ペリー記念碑の次はこの犬走島に向いました。
 


ジャパン・コースト・ガードと書かれた海上保安庁の大きな船が岸壁に係留されていて、そこを過ぎると、その隣の神新汽船のフェリー発着所の先に堤防の入り口がありました。山側にはその保安庁の庁舎が建っています。

海上保安庁の船と犬走島


島まで伸びる堤防の長さは地図上で測ったら333mで、更に灯台までなら457mもありました。相当長い堤防です。幅は3mくらいありますので、歩くのに心配はありません。潮位も安心できる高さです。島寄りの方で数人の釣り人が竿を伸ばして歓談していました。ここは釣り人のメッカのようです。

犬走島


島に“上陸”すると、懸崖に短いトンネルが掘られて、その先に灯台が立っていました。また、トンネルの右側には天然の洞穴が海上に覗いていました。




灯台の基部から下田湾をぐるりと眺め渡しながら、その広さをあらためて再認識します。両翼に水車を擁した黒船がやってきました。ペリー艦隊もこうして進入してきたのでしょう。
 


灯台に嵌められた鉄板には「西防波堤燈台 初点昭和463月」と刻んでありました。防波堤で思いを致すのが1854年の安政の大地震による津波です。この年には日米和親条約が締結され、その後を追ってきたロシアのプチャーチンが日露和親条約締結のため江戸幕府と交渉を始めたばかりでした。
 


資料によると、下田町内の総戸数875戸のうち841戸が津波で流失全壊、30戸が半壊、無事の家はわずかに4戸ということですから、下田は壊滅状態に陥ったと言われます。
 


ちなみに、翌1855年に日露和親条約は締結されましたが、プチャーチンが乗ってきたディアナ号も津波の被害を受けて、結局、西伊豆の戸田で代船の建造を始めることになります。
 


今回は初めて犬走島に来て、開国の町、下田にあらためて思いを馳せるきっかけができました。今年は少し下田の勉強をしなければなりませんな!