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早くもヒガンバナ! ― 2024/09/11
ヒガンバナは毎年早く咲きだす印象がありますが、残暑がこんなにも長く続いていることから”早くも”と云う気持ちになりますね。
今日の散歩コースは「中川の畑~一望閣~よしくぼ道~稲取アルプス~長坂終了点の賽の神さま~二つ堀~「うんまみち」~稲取駅まで。スタートpm2時半~帰宅5時半。実歩時間2時間。
今日は午後になって日は陰り、風も出て先ず先ずのコンディション。久しぶりの稲取アルプスでT女史にお会いしました。自宅前の道路を掃除中でした。少し離れた所にかきあつめたゴミが山になっています。女史の近況やご近所様の様子などを伺って情報を仕入れることが出来ました。暫くして知り合いがいつものように犬を連れてやってきまして鼎談+アルファの会談。
きょうは散歩日和となり、秋のおとずれも感じさせてくれました。
これはアガパンサス(紫クンシラン) もう実が風に飛ばされたか、下に落ちたか
こちらはタラノメの秋 丁寧に枝を切りそろえてありますね
そして、センニンソウがこれからですね、
水下最奥のサジメ橋を渡って ― 2024/09/12
今日は風があって幾らか過ごしやすかったので、少し早めの午後3時スタート。暫くぶりで水下~見高入谷街道をゆく。上平塚の変則十字路の先、旧半僧坊を過ぎると、入谷道から下りて来る道路の拡幅工事が行われていました。この工事は、この先何らかの意味があるのでしょうね?
下平塚の立派になった馬頭観音碑前を通り過ぎると、間もなく志津摩川に架かるサジメ橋を渡ります。暗い坂道を少し上がると右に農免道路への道があります。これをゆくと山神社が遠くないですが、この坂道で以前、サルの集団を目撃し退散したことがあったことから近寄りがたく、直進の井の際(いのき)への坂道も敬遠し、結局、反対側の国道に下りる道を選択。今回の水下行きはこれにて終了。次回はこの旧街道を見高入谷~オレンジセンターまで足を延ばしてみようと考えています。一日がかりの遠足です。
桟道橋から長坂に上がった所で伊豆大島15時17分。
文化公園でコーヒータイム後、”こらっしぇ”裏から大島に架かる黒雲。17時05分
点々とした黒雲が島のように見えました
稲取大川臨海橋から 17時13分
夕刻の稲取港 ― 2024/09/15
夕方5時頃だと、さすがに強かった日差しも斜めに傾き涼しくなってきました。昨日は19時頃だったでしょうか、突然スゴイ爆音がしてテレビの画面が消えただけでしたが、外を見ると、港の灯りが殆ど消え、わずかにライトアップ用の照明だけが薄暗くなって見えました。その状態も10分も経たないうちに平常に戻ってやれやれでした。大きな問題にならずに済みました。雷が原因のようです。どこに落ちたんでしょうかね?
本日の午後5時頃の稲取港と「柚窪のみよ(峰)」。 さすがに日曜日でもこの時間の港は静かでした。訪れる人は殆どが釣り人でした。観光客が二人三人と連れ立って徳造丸本店2階の食堂に消えました。夕日を楽しみながらの食事ですね。
黒根橋 ― 2024/09/16
天気情報によれば、12時頃から午後はずっと雨、ならばと少しでも歩いて来ようと外へ飛び出した。行く先は黒根。黒根の岩場には既に釣り人が一人、水際で糸を垂れていた。あの岩場は多分、「ウノクソ」だろう。ロープを使って懸垂下降しなければならない場所だ。風は穏やかで曇天下、今のところは悪天の到来はなさそうだ。
利島、鵜戸子島、新島には少しガスがかかっている。
黒根橋を渡る時、橋の袂の石柱に昭和55年10月竣工と書いてあった。あの伊豆大島近海地震が53年1月14日なので約2年半で復旧したわけだ。ただし、国道の体面は保てなかった。今でも白田から黒根までのトンネル3カ所が崩壊した土砂に埋まって、道路自体が陥没したままだ。さいわい、この上にほぼ並行して有料道路が走っていたので急遽、これを国道に替えて135号線としたのだった。
黒根橋を渡り終えて、この辺は「海防の松」も枯れてしまった。
量は少ないが、テングサ漁も時々続けられるようになった。
今日はこの辺で。
ドンツク神社のご神体 ― 2024/09/18
稲取の土俗的な文化とも称されるドンツク神社のご神体は”男根”を象徴した独特なものだ。その男根のご神体自体は以前から稲取岬の「灯台下」の「ドンツク神社」に奉納されている。このことは私どもが15年前に稲取りに移住した時から知っていたのだが、その後、数年前に新たに”ご神体”が造られて、その年のお祭りに初めて披露され、今日まで主役を演じていた。
ところが、その新ご神体がどこに奉納されていたか知らなかった。というのは、ときどき灯台を訪れていた時に嫌でも目につく神社のご神体は従来の”物”だった。新ご神体がはるかに大きくて立派な”一物”であることは既に承知していたからである。
そして、ドンツク通りをその後も幾度も往復しているというのに、新ご神体の御仮屋を目にすることはなかった。今回、稲取観光協会の建物の一角に格納されて、しかも”展示”されていたのに気が付いたのは、そのドンツク通り入口に立てられた真新しい看板のお陰だった。展示場の文字が目に入ったのだ。
敷地内に入って見学することも出来たが、垣根の外からでも十分それと認識できた。久しぶりで見た健康そうな立派なご神体だった。
ところで、いつまで”御仮屋に”鎮座ましますのでしょうかね。新旧の交代はなされるのかしら。?
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