”すもう岩” ― 2011/02/05
「さっき会った人がカサゴは刺身が一番と言ってました」
「いや、俺は刺身なんかより、二度揚げだね。油で揚げて冷ましてからもう一度揚げるんだ。骨まで軟らかくなって全部食べられる」
ちょうど昼時で船が一艘、二艘と帰ってきます。漁場の話になりました。
「稲取の船は大島の手前あたりだね。下田の船はずっと沖合なんだ」
「稲取のブランドをねらって、よそから入り込むというのは?」
「ないね。不文律だよ」
「なるほど」
「下田の船は大型船だから、二三人が乗って一日や二日では帰ってこない。それだけ獲物を追っかけてる」
「だから、稲取に比べて新鮮味が落ちるというわけか」
「沖合のキンメは色が淡く、白っぽい。だいたい種類が違うんだよ」
「今はあまり獲れなくなったそうじゃないですか?」
「ヤクザな稼業さ。現場に到着して釣り糸を延ばしてから1時間半くらいして、”あたり”を見るのよ。手の感覚でわかるんだな。おもしろいよ。それでよしとなったら、引き上げるんだ」
「船の後ろに付いている巻き上げ機を使うんですね?」
「そうだ。運がよけりゃ、一発で5,60匹が引っ掛かる。そんな日はもうそれでおしまいさ。ほかの船を尻目にさっさと帰ってくる」
「あの辺は赤尾ホテルの駐車場ですよね。すごいガケですね」
「あの地震で落っこちた。その前は広場だった」
「いや、恐ろしい。そんなことがあって、“りゅうごんさま”は少し移設したとか?」
「そうよ、今じゃ船からは見えないけどね。昔はここを通る船の目標だった。りゅうごんさんを見て通ったんだ。だいたい、ヤツらは岡の突き出たところをいつも目で見て、進む方角を判断しているんだ」
彼が下田から稲取に来たのは5歳の時でした。今の国道のトモロトンネル入り口にあるトモロ橋は彼が25歳のときに”俺が造った”のだそうです。つまり、現場監督として工事に携わったということです。
「子どものころはあそこが怖くてなあ」
「隔離病棟のことでしょう。確かにあそこは暗い感じがしますね」
「あそこには十何人かが入っていた。あの橋を造ったころには、もうとっくに他に移ってたという話だ」
「しかし、こんな険しいところで釣りをするなんて、釣りをやる人はどこへでも入ってゆくんですね。この間、あの“たるがの”に下りたら、結構釣っている人がいましたね」
「あそこには何箇所か降り口があるんだよ。あんたが行ったのは手前のほうだ。あの先端の裏のほうに”すもう岩”というのがあるから、行ってみな。二人が相撲とってるみたいな、おもしろい恰好の岩だ」
「へーえ、他にも降り口があったんだ。そうと聞いたら、行かなきゃ。ありがとう。いつか行ってみます」
稲取に来て2年が経つと言っても、よく歩いているよ、とのお言葉をもらって、引き上げることにしました。次の目標ができたのです。”小池”を覗いて”はなれ”から離れ、もうひと続きの岩礁が海に突き出たところまで行って手を振ると、離れた向こうからも反応がありました。
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