”たるがの”と田尻海岸 ― 2011/03/10
東北地方太平洋沖地震 ― 2011/03/12
スサノオ神社の禰宜、”テンノウさん”のおじいちゃんは関東大震災の翌年の大正14年生まれで、お父上からこのときの話をよく聞かされたそうです。
地震のときは稲取漁港の海水がスーッと引いて、底が見えたと言います。その時の津波では相当の被害があったことだろうと想像されます。伴七おじさんから去年聞いた話を思い出しました。船が一気に民家に飛び込んだと言うから恐ろしい。
きのうは午後3時からずっとテレビにくぎづけ。津波がゆっくりと浜に押し寄せ、陸に上がって人家や車をひと飲みにしてゆくさまはまるでアメーバが獲物を狙って舌を伸ばしているようでした。とてもとても信じられない光景でした。
不幸にして地震の被害を受けられた方々には衷心よりお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
今は一刻も早い、救出、救済、そして復興を願わずにはいられません。
大自然の顔 ― 2011/03/14
海岸通りを歩く観光客の姿はきのうからまったく途絶え、むかい庵も今は訪れる人もありません。下の防潮堤に下りてみると、おばあさんが一人雑草を取り除いていました。
防潮堤と石垣との間には遊歩道のような細長い路が伸びていて、そのわずかな部分に花壇のようなものがあります。ちょうど、赤っぽいきれいな花が咲いていました。おばあさんはその周りの手入れをしていたようです。夏にランタナ(七変化)がそこらじゅうに咲いていたのを思い出します。
突然鋭い牙を見せた自然界は人々の悲しみをよそに、ここでは春の穏やかな顔を見せています。
玄関先でつるし雛を売る家の前の花壇ではスイセンの倍はありそうな大きなラッパスイセン(?)が咲いていました。黒根の坂ではキブシを見つけました。天城ではもうアセビも咲きだしていることでしょう。
第三ターンにさしかかったところで、おやおや、子ザルの姿を見つけました。3頭のうち1頭は叢に隠れてしまいましたが、残りの2頭は警戒しながらも立ち去る気配はありません。若菜のようなものを抜いて食べています。
また大騒ぎにならないように写真を撮ると直ぐ離れましたが、国道をくぐるガードの手前左手の別荘宅でも中庭を3頭の子ザルが歩いているのを見ました。3月に入ってから子ザルの姿をよく見かけるので、どうやらエサに恵まれて繁殖が盛んな傾向にあるようです。
稲取高校上まで来て国道へ下る坂の楽しみは桜です。2月の間、赤い花を付けていた河津桜は今はもう緑の葉だけになり、代わって大島桜が大きな枝を広げて花開いています。これからはグラウンドを取り巻く桜並木が卒業式、入学式に花を添えることになります。
三筋山の風車建設工事は再開されてしまった ― 2011/03/18
三筋山の風車建設工事がどこまで進んでストップしたのか、ひと目見ておこうと今日は河津の見高側から歩いてきました。
山神社から農免道路を歩いて見高に入り大峰山にむかいます。民家の横にゲートがあり、きょうはカギがかかっていませんでした。ゲートの横から林道に入り、車が入山したのかなと考えていると、案の定、間もなく一台のワゴン車が下りてきました。
以前、この道から、途中、尾根へとよじ登った地点を通り過ぎ、更に先へ進みます。今回はこの林道を最後まで詰めるつもりでした。林道は工事用の車が往来するとあって、幅は十分にあります。
その後、車とは一台も会わず、簡易事務所とトイレが設置されている場所に来て、前方が大きく開けました。三筋山の三角点峰と、その左にフライイングエリアが目と鼻の先にあります。
傍らに業者の看板が立っていました。現在まで無事故記録何時間かの数字が書かれてあります。別の小さな看板に本日の日付3月18日の何がしかのコメントが載っていました。これを見ると、工事が現在も行われていることがわかります。
ここに来るまでは、この工事は中止されているものとばかり思っていたので意外でした。そのうちに上から車が下りてきて目の前で止まりました。工事中なので、これ以上の立ち入りは遠慮してほしいとのこと。道はこれより上が新しいコンクリート舗装になっています。
工事は県から中止命令が出ているはずではないかと、押し問答がしばらくあってから、結局、少し戻って直接大峰山の主稜線を目指すことにしました。稜線に向かって舗装された古い道があったので、その道に入りましたが舗装はすぐになくなり、道は荒れてヤブこぎと変わりません。
それでも、支尾根を経て大峰山の主尾根に立ちました。ちょうどそこが大峰山の頂上だと、後でわかりました。好天気に恵まれて、天城連山がすっきりと青空に映えています。でも、工事の再開に納得できない気持ちがどこかに引っかかって、展望を十分に楽しむ心境になれません。
結局、三筋山の山頂に着いた後、見高入谷へ下山している間ずっと沈んだ気持ちは晴れませんでした。
輪番停電 ― 2011/03/15
東京電力で実施した輪番停電では稲取は第5グループに入っています。昨日は15時20分から19時までの間の3時間ということでしたが、幸い中止となりました。
私どもは週一回火曜日にヤオハンへ買出しにゆくことになっています。今日の停電は12時20分から17時迄という予告だったので、いつもより早めに出かけました。
停電になれば、店は閉めざるを得ないだろうというわけで、駐車場は既に車が列をなして空きを待っていました。店内も人でいっぱいです。しかも、食品の一部、パンやカップラーメンなどが品薄でした。女房殿の話では昨日は殆どなかったそうです。
しかし、全体ではまずまずの棚状況で、私どもでは必要としている食品はすべて揃いました。先を争って欲しいものを手に入れる愚は避けたいものと思っていましたから、ホッと胸をなでおろしたものです。
しかし、今回の被災者の多くの方々は衣住はもちろん、食糧が乏しく辛い生活を強いられているようです。その人たちのことを思うと、誠に気の毒でなりません。私たちにできることは、今なおガレキの中で助けを求めているかもしれない人の救出と、一刻も早い災害地の復旧を祈ること、そして僅かばかりの義援金を送ることぐらいのものでしょう。
それから、もうひとつ。テレビに映る惨状をしっかりと脳裏に焼き付けておくこと。特に福島原発のただ事でない成り行きをよく見定めることです。これからのための知恵がそこに隠されていると思うからです。
by inatoridayori [お買い物] [論評] [コメント(0)|トラックバック(0)]