中の平のベティさん ― 2011/09/02
金指さんの「稲取風土記」の中に、「中の平のベティ様」の記述があります。ずっと前に読んで頭の隅に残っていました。今日はそのベティさんにお会いしてみようと出かけました。
朝9時20分、アニマルキングダムでバスを降り、中の平を目指します。台風が接近中の荒れた天気模様でも、風はそれほど強くはありません。強い日差しがない分、かえって快適な散歩が出来ます。
字佛原の十字路に10時ちょうどに到着。それから5分で中の平です。早速、ハウスで作業中の方にベティさんの居場所を訊いてみました。広い田畑のやや中ほどにこんもりした森があって、その中に社殿があるとのことです。
小さな石祠が荒れ地の片隅にひっそりと置かれたままという、そんなイメージを何となく持っていたので驚きました。ベティさんの呼称の由来を尋ねると、ご神体が弁才天で、弁天さんが訛ったものだと言います。
ウイキペディアによると、弁才天とはヒンズー教の女神サラスヴァティが仏教または神道に取り込まれた呼び名で、古代インドの河神だということです。
なるほど、古来、中の平は水の豊富な場所だったことがわかります。昭和の初めに新田開発が行われたのも、上部に貯水池を造るに充分な川があったからなのでした。
さて、教えられたとおり、こんもりした森に近づくと、赤い鳥居がその中に透かして見えました。森の入口は狭く、草が道を覆っていましたが、クモの糸を払って中へ入ると、立派な参道が続いていました。
社殿は比較的新しく、その中に石祠が鎮座していました。損傷があまりないことから、もし、石祠が取り換えられていないとすれば、昔から社殿に囲まれていたのかなとも思われます。それから、脇に控えている石灯籠のような形の積み石がなかなか立派でした。神社の境内の雰囲気を充分に盛り立てています。
帰りに二枚の田圃を見てきました。稲穂の育ち具合は、田植えが遅くなって行われた志津摩のそれと比べると、やはり少し先を行っているようでした。
赤松神社 ― 2011/09/03
湯ヶ島への道 ― 2011/09/04
山田の大家さんの前の道を上がっていったときは、ちょうど驟雨があがったときでした。たまたま、“たき火”をしていた“向の家”のご主人と幾つか立ち話ができました。
その一つに湯ヶ島への道があります。実は先日、屋号“橋詰”さんと大家さんの間を流れる大川沿いに小路を辿ったことがありました。そして回り込んだすぐ上に小祠を見つけたのでした。
この祭神はヒメ・・・という神で、熊野権現と一緒に往古の山田一族が長野の諏訪から遷したものだとの話です。祭神の名前はうっかり忘れてしまったのは残念です。
ところで、その祠の奥に細い道があり、川を渡って上ってゆくと、“横ヶ坂”の奥を回って入谷道に出られると聞きました。昔はこの道を通って湯ヶ島へ抜けたのだとも。小祠まで細々とした道を歩いたとき、まさかこの道が湯ヶ島まで通じていたとは思いもよらなかったことでした。いずれ、歩いてみたいと思います。
それから、ヒメ・・・の祭神の脇にそれと分かる寺の跡があるとのことで、その時は気が付かなかったのですが、実はそこが済広寺の跡だったのです。お寺を所有し、氏神さまも二つ抱えて、山田一族は凄い実力者だったのですね。








一億総白痴化 ― 2011/09/05
ミーハーなゲストを迎えての駄洒落番組のように内容的にも然りですが、最新のIT技術をひけらかすような画面操作が、最近特に目立ってきているのは苦々しい思いを通り越して腹が立つほどです。
有働アナウンサーと好男子二人が進める「朝イチ」の番組は良いとして、この三人と他のゲストの顔を画面に設けた小窓に映すごときは覗き見そのもので低俗趣味もいいところ。プロデューサーがその責任を担っているとしたら、その品位がわかるというものです。
それから、昼のニュースが終ってから始まる「昼ぶら」などは、もう視聴者を馬鹿にしています。スタジオのゲストと、“ぶら”ついている映像の中の二人とコミュニケイションがうまくとれるわけはないのに、その無様なところを視聴者にさらけ出しています。何よりもその「小窓」が現場映像の邪魔をしています。前の「昼プレ」のほうが余程しっかりした番組構成でした。
思うに、その種のベテランを民放からNHKに招請するとかいう記事を、だいぶ前に新聞で読んだ記憶があります。NHKの放送が若い人たちに人気がないという評判に呼応したものということでした。その時私は嫌な予感がしたものです。
例えば、ドキュメンタリーや自然ものの番組などはじっくりと見たいのに、面白おかしくしようと、余計な手法がやたら目立って目障りで仕方ありません。きょうのナデシコジャパンのスポーツ番組にしてもそうです。シュートを打つと、何だか知れない赤っぽい幕が一瞬現れて消えるのを見たりすると、プロデューサーに陰で操られている感じがしてきます。さあ、ここがポイントだ、ここでホットな気分になれ、とでも云うように。余計なお世話です。
それは番組自体がすばらしいものであればあるほど、腹立たしい思いにかられます。私たちは番組を“見せられている”のではなく、自分で見たいのです。自分の眼で見て自分で判断したいのです。料金を払って、低俗な手法に翻弄されたくはありません。折角のIT技術の使い道を誤ってほしくないのです。
そのうちにニュース番組でさえ、勝手に操られ消化された番組に堕してしまうのを心配しなければなりません。いつの間にか“一億総白痴化”がこんなにまで進んでいるとは!恐ろしい。
by inatoridayori [論評] [コメント(0)|トラックバック(0)]