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昔の道、今の道 ― 2012/06/14
入谷の朝日屋さんの軒先には今でも「塩」の専売所の看板がかかっています。西町からお嫁入りしたオカミサンは庭仕事の手を休めて、昔は塩、醤油、酒等をこの場所で商っていたと話してくれました。今はお茶、コーヒー等の自動販売機が置いてあるだけです。
この家の前は当時畑だったそうで、古くからの道はこの50メートルくらい先の旧選果場から大久保の大家さんの脇を通っていたと伺いました。農免道路が出来る際には、この畑の周りの家々が少しずつ土地を提供し、盛り土をした上で道路にしたと言います。この朝日屋さんの玄関が道路より低い理由がこれでわかりました。
“小峠”の農家の方の話しでは入谷のどんど焼きは選果場の賽の神の前で土を掘って燃やしたらしい。浜地区で神福竹を使って矢倉を立て、そこに門松などを集めて燃やすのとは一風違っていたようです。
入谷に限らず昔の道はジャリと土だけの道で、コンクリート舗装がされる前は雨が降るとぬかるんだ上に牛車の轍(わだち)が通ったあとは深い溝が出来て難儀をしたそうです。しかも、その轍は木製の上に鉄の輪を覆ったものだったので、道の抉れに拍車をかけたと言います。
入谷天城道は比較的早くコンクリート舗装され、それからは自動車の時代が到来します。農道も次第に整備されて農家の足として、そして産物の運搬に大活躍することになります。
その結果、従来行われていたどんど焼きの場所は変更になり、それ以来今日まで何箇所も変わってきたそうです。今は個人の敷地を借りて行い、都合が悪くなると別の敷地を借りるというように一定してはいないとのことでした。
この家の前は当時畑だったそうで、古くからの道はこの50メートルくらい先の旧選果場から大久保の大家さんの脇を通っていたと伺いました。農免道路が出来る際には、この畑の周りの家々が少しずつ土地を提供し、盛り土をした上で道路にしたと言います。この朝日屋さんの玄関が道路より低い理由がこれでわかりました。
“小峠”の農家の方の話しでは入谷のどんど焼きは選果場の賽の神の前で土を掘って燃やしたらしい。浜地区で神福竹を使って矢倉を立て、そこに門松などを集めて燃やすのとは一風違っていたようです。
入谷に限らず昔の道はジャリと土だけの道で、コンクリート舗装がされる前は雨が降るとぬかるんだ上に牛車の轍(わだち)が通ったあとは深い溝が出来て難儀をしたそうです。しかも、その轍は木製の上に鉄の輪を覆ったものだったので、道の抉れに拍車をかけたと言います。
入谷天城道は比較的早くコンクリート舗装され、それからは自動車の時代が到来します。農道も次第に整備されて農家の足として、そして産物の運搬に大活躍することになります。
その結果、従来行われていたどんど焼きの場所は変更になり、それ以来今日まで何箇所も変わってきたそうです。今は個人の敷地を借りて行い、都合が悪くなると別の敷地を借りるというように一定してはいないとのことでした。
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