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ゼッケンをつけたランナー2025/10/12

”ひらなみHW”を歩いた帰りに国道をのんびりと歩いていたら、後ろから音もなく若い人に追い越されました。背中に小さ目のザックを背負い、その下に大きな数字のゼッケンがレース中であることを示しています。彼はかなり疲れているようで、体が多少斜めに傾き、足取りはかなりゆっくりとして、はた目にも疲労が重なっているように見えました。
しかしながら彼がそんな状態なのに、当方が足早に追いつこうとしても徐々にその差が開いてゆきます。コンパスの長さの違いを思い知らされました。でも、おかげで大汗をかくことが出来ました。辛い足の運びを感じだすと、最近はなかなか連続して頑張る気になれません。こうした刺激が期せずして得られたことで、このランナーさんに感謝せねばなりません。

ただ、彼がレース中なのか、ゼッケンは”コスプレ”のつもりか、どこからスタートしてきたか、ゴールはどこか等々、聞きたかったのに残念ではあります。


久しぶりの音読サークル2025/10/01

図書館の「音読サークル」は月1回です。ようやく秋らしくなって暫くぶりで坂道に挑戦。図書館へのコースは片瀬バス停からがベストです。バス停から片菅神社へ向かってすぐ右に横平尾根への坂道があります。これを行くと峠を越せば「蟹が森」の台地に出られます。坂町~「さかいまつ」間の坂に次いで厳しくも鍛錬の場なのです。

先ずは”暗い穴道”から
コンクリートを補修した白い部分に立てば浅間山の北東の山麓付近(マリンハイツなど)を仰ぎ見ることが出来ます。ここで呼吸を整え気を引き締めて出発です。尚、この道は急なため、落石や倒木などの危険が伴うので注意が必要で、現に「通行禁止」の看板が立っていました。石ころや、木の枝などが散乱していましたが、人の通行が不可能というほどではありませんでした。



マップの②(最初のターン)

マップの(題2ターン)

最近切ったと見られる真新しい木株

横平尾根を横断する峠が見えてきました(マップの⑤)。

そして蟹が森の台地に下り、

蟹が森ポケットパークのベンチで一休み。
この先を上がって行くと、図書館と熱川小学校が間近です。

ところで、片瀬バス停から「蟹が森」への坂道(マップの➀~⑥)と、坂町のバス停から「さかいまつ」➀~➂)Bとを比べてみました。
Aについて
スタート➀の標高は10m、峠⑥の標高110m
➀から⑥までの距離539m 
(110ー10)/539=0.185
Bについて
坂町バス停➀の標高40m、鉄塔がある”峠”の標高は120m
➀から➂までの距離408m
(120-40)/408=0.195
Bコースの方が僅かに斜角がありました。
図書館までの距離はそれぞれの峠からは
Aが 509m  全長:1048m
Bが 642m  〃 :1050m
以上を要するに殆ど変わりがないということでした。

お疲れさま!!!


赤坂いろは坂の倒木2025/07/30

バスを利用してクロカンコースに上がり親水広場でゆっくりした後に、知人ご夫婦に
お会いしたのはラッキーでした。いつものように愛犬がお供していました。久しぶりだったので、いろいろと話が弾み、再会を約してお別れしたのでした。

その後、帰りはいろは坂コースを下りましたが、これも久し振りでしたが、途中、大木が倒れて道を塞いでおりました。それでも何とか突破出来たのは、これもラッキ
ーでした。






印が倒木の場所
赤坂いろは坂は倒木場所を除いて他は、意外に歩き易くなっていました。

農免道路から見高入谷へ2025/07/07

先週の土曜日に歩いた記録です。
見高入谷のブルーベリー農園が開園しているだろうと思って出かけました。ブルーベリー狩りが出来て、そのアイスクリームが食べられる農園で、お土産にビン詰のブル―ベリージャムが買えるのです、ブルーベリーは目の健康に良いことが知られています。

権現線遊歩道入口から中川の畑を通って一望閣下に上がり、いったん下がって大長坂を行き、道なりに栄昌院前を通過して入谷・天城道に出ました。実は先月27日に亡くなられた鈴木秀夫さん(大下さん)の弔問に長坂を前日訪ねたので、今回は遠慮して大長坂からのコースを選びました。二カ所の畑の前に立って、在りし日の仕事姿を偲びながらご冥福を祈ったのでした。

その後、暫くぶりに飯盛山さんにお宅の前でお会いしたのがラッキーでした。以前と変わらず元気だったのが何よりです。ただ、きのうブルーベリー農園前を通った時、幟り旗が立ってなかったと聞いて心配になりました。未だ開園してないかも?

クチナシ(八重)の花 飯盛山さんの石垣で毎年咲いてます 

それはとにかく、山神社の先のJA倉庫前の石仏の台座をお借りして休憩してから、さあ出発です。
JA倉庫前から大久保橋の方へ下ってゆくと、大久保の大家さんの鬼瓦の家紋が丸に大の文字であることを初めて知りました。

志津摩川を渡って旧道を行き、農免道路に下りると、平成天皇が訪れたハウスミカンの広大な施設に驚きます。

農免道路から見た「荒巻」のハウス群です。

で、[ブルーベリー観光農園」に到着したのですが、やはりノボリは立っていませんでした。入口に並んでいるはずのヒマワリの花はその形跡でさえ確認できません。
周りの景色を写真に撮っていると、軽トラが入って来て止まりました。この園のオーナー夫妻です。彼から開園は毎年7月の第3週の日曜日と言われました。どうやら当方の勘違いだったようです。

一昨日歩いたコースマップ  ⓵~志津摩⑬が終点(バスに乗車帰宅)
②はさくら介護前の信号機から入谷へ向かいます。
⓷が中川の畑
⑤は栄昌院の先の入谷道
⑥⑦が旧道で⑧が農免道路(河津方面に向かいます)
⑩が「見高入谷の観光農園」
その後は
⑪のオレンジctr経由で⑫~⑬と歩いて志津摩のバス停からバスに乗って帰宅。

モノ知りな彼 その32025/05/26

ムカイの漁師小屋で彼に会ってから4日目の今月14日の午後、私は軽い散歩に出た。彼から聞いたヤツガシラに会えるといいな、と思いながら文化公園に来てみたのだった。しかし残念ながら公園の芝生はサッカーに興じる子供たちが占拠していた。元気良い声々が飛び交っていた。また来ればよい、と即Uターンして役場前の「こらっしぇ」に来て缶コーヒータイム。私の軽い散歩の帰りは天王坂を上るのがいつものことだが、今回は第5分団器具置き場前から「上の山」を上ることにした。実は、先日、天王さんの大鳥居前で大ザルにキバを剥かれ恐い思いに遇っていたのだ。 

この道は10年ほど前に地震や津波の被害から逃れるため、「上の山」へのエスケイプルートに指定されていた。過去に何度か往来したことがあった。特に上の山台地に町指定の遺跡探しをしていた頃にはよく探して歩いた。当時は精力的に歩き回り、人を見つけては質問の矢をいろいろと放っていたものだ。おかげで知り合いもでき、宝ともなっている。

さて、この道の途中には稲取港を直下に見下ろせる優れたビューポイントがあり、そこに立てば暫し時を忘れるほどである。途中、お稲荷さんの祠の所で道が二手に分かれる。この日は久しぶりに左の道を取った。このコースは右の道より急斜面にあり、しかも雑草が所々で石段を覆っている。階段はコンクリートの石段で右コースと同じように幅が狭く、しかもその左半分が斜道で右半分が石段になっている。そしてその雑草を避けて左一歩から右2歩目に移った時、運命は決まった。突然バランスを失って後ろによろけ、咄嗟に体を右に捻って手をついたが、うまく体を立ち上げることが出来ない。右腕に力が入らない感覚があった。再度試しても動かない。そこで逆さまになった体を引きずるように下部へ動かすと、右腕に力が入り漸く上体を立て直すことが出来た。気が付くと、両手共に血だらけ。特に右手親指の付け根の辺りに見たことがない深い穴が空いていた。ただし、こちらの方は血が湧いていないし、痛みも感じていない。それだけに不気味な気がした。 

ハンカチで血を拭い、これまで触ったことがない手すりに初めて手をかけて、バランスを保ちながら石段を上り詰め、国道に上がると這う這うの体で帰宅した。直ちにタクシーを呼び、今井浜病院へ直行したのだった。右手の治療は親指を6針も縫って終わった。医師によると、皮下組織を貫いて骨にまで達する深傷だったが、レントゲン検査では特に問題はないとの診断だった。全治は2週間~一カ月。 

親指の根元辺りは母指球というのだそうで、他に薬指の第一指節の右側面、人差し指第2指節の表面、そして上腕の擦り傷を含めて右腕は合計4か所。左腕はいずれも手の平で、手根(手首に近い手の平の盛り上がり部分)、そして親指第1指節の表面の2カ所。それから右脚付け根部分に打撲傷、側頭葉に打撲傷小、右頬に引っかき傷、左額の目の近くに打撲傷あり。すべては先日のエイシンさんに指摘されたハンドフリーの原則を軽んじたことから招いた災難だった。左手にカメラを携行していたのである。右手を動かすと、打撲したせいか痛みが走る。週2回の病院通いを余儀なくされてしまった。あー・・・。おわり