モノ知りな彼 その3 ― 2025/05/26
ムカイの漁師小屋で彼に会ってから4日目の今月14日の午後、私は軽い散歩に出た。彼から聞いたヤツガシラに会えるといいな、と思いながら文化公園に来てみたのだった。しかし残念ながら公園の芝生はサッカーに興じる子供たちが占拠していた。元気良い声々が飛び交っていた。また来ればよい、と即Uターンして役場前の「こらっしぇ」に来て缶コーヒータイム。私の軽い散歩の帰りは天王坂を上るのがいつものことだが、今回は第5分団器具置き場前から「上の山」を上ることにした。実は、先日、天王さんの大鳥居前で大ザルにキバを剥かれ恐い思いに遇っていたのだ。
この道は10年ほど前に地震や津波の被害から逃れるため、「上の山」へのエスケイプルートに指定されていた。過去に何度か往来したことがあった。特に上の山台地に町指定の遺跡探しをしていた頃にはよく探して歩いた。当時は精力的に歩き回り、人を見つけては質問の矢をいろいろと放っていたものだ。おかげで知り合いもでき、宝ともなっている。
さて、この道の途中には稲取港を直下に見下ろせる優れたビューポイントがあり、そこに立てば暫し時を忘れるほどである。途中、お稲荷さんの祠の所で道が二手に分かれる。この日は久しぶりに左の道を取った。このコースは右の道より急斜面にあり、しかも雑草が所々で石段を覆っている。階段はコンクリートの石段で右コースと同じように幅が狭く、しかもその左半分が斜道で右半分が石段になっている。そしてその雑草を避けて左一歩から右2歩目に移った時、運命は決まった。突然バランスを失って後ろによろけ、咄嗟に体を右に捻って手をついたが、うまく体を立ち上げることが出来ない。右腕に力が入らない感覚があった。再度試しても動かない。そこで逆さまになった体を引きずるように下部へ動かすと、右腕に力が入り漸く上体を立て直すことが出来た。気が付くと、両手共に血だらけ。特に右手親指の付け根の辺りに見たことがない深い穴が空いていた。ただし、こちらの方は血が湧いていないし、痛みも感じていない。それだけに不気味な気がした。
ハンカチで血を拭い、これまで触ったことがない手すりに初めて手をかけて、バランスを保ちながら石段を上り詰め、国道に上がると這う這うの体で帰宅した。直ちにタクシーを呼び、今井浜病院へ直行したのだった。右手の治療は親指を6針も縫って終わった。医師によると、皮下組織を貫いて骨にまで達する深傷だったが、レントゲン検査では特に問題はないとの診断だった。全治は2週間~一カ月。
親指の根元辺りは母指球というのだそうで、他に薬指の第一指節の右側面、人差し指第2指節の表面、そして上腕の擦り傷を含めて右腕は合計4か所。左腕はいずれも手の平で、手根(手首に近い手の平の盛り上がり部分)、そして親指第1指節の表面の2カ所。それから右脚付け根部分に打撲傷、側頭葉に打撲傷小、右頬に引っかき傷、左額の目の近くに打撲傷あり。すべては先日のエイシンさんに指摘されたハンドフリーの原則を軽んじたことから招いた災難だった。左手にカメラを携行していたのである。右手を動かすと、打撲したせいか痛みが走る。週2回の病院通いを余儀なくされてしまった。あー・・・。おわり
ガードレールで足ブラブラ ― 2025/03/21
カップルと分かれて間もなく、小さなザックを背負った中年の男性に出逢った。この道を歩く人、二組に出逢ったのは珍しい。どこから来たか聞くと、小学校の体育館の近くからだという。眼医者さんの道路の反対側というので、カヤ寺からの坂道の天神坂のようだ。空き家を改修してみんなで住めるようにした“観光組合の施設”のような話である。この稲取に空き家を探し、仲間とシェアすることで若い時から度々訪れて別荘生活のまね事を楽しんできたらしい。なるほど、そういう“手”もあるんだなと感心した次第。帰りはクロカンコースによってから、稲取高校を経由して港に出、コラッシェで買物するつもりだと言っていた。
そんな彼と別れてから、大川を渡り緩やかな上り坂の前方に不思議な動きをしている人に気が付いた。だんだんと入谷道に近づき、その左り角のガードレールに摑まって足をブラブラ動かしているのが分かった。つまり、自己流の健康体操をしているのだ。何度かした後、また別の足を同じように繰り返していた。声をかけると、顔を上げて照れ笑いをしながら、足に少し違和感があるんでねと弁解した。かなりの年配の方だ。 つづくヨカサカ~柚久保道を ― 2025/03/20
栄昌院~入谷道~入谷口~ ― 2025/03/17
大川の橋の袂に咲いた濃いピンク色の花びらが少し散り始めていました。サクラの木を前にして暫く呼吸を整えます。華やかな枝の背後には最近雨の日が多くなったことを証明するかのように大川の小堰堤を越えて流れ落ちる水が白いシブキをあげていました。この場所に立つと、決まって思い出すのが、T先生のミズバショウの話。桃野湿原に町の事業の一つとしてミズバショウを植えこんで尾瀬のような場所を具現しようという期待が、ある年の台風によって敢え無くもつぶされてしまったこと。この湿原の北側に下った所に野鳥観察舎が今尚残るミニ公園とともに先年亡くなられたT先生の思い出は尽きない。
一望閣を真下から見上げることが出来る細い急な坂を上がりきった場所は先に触れた変則十字路です。一望閣が営業していた当時は送迎バスがこの小峠を駐車場にしていたと聞きます。ここから一旦駅方面へ下ってすぐに右へ栄昌院方向に向かいます。この辺は大長坂で、その屋号のお宅のミカン畑が広がっています。ミカン畑の中でだいだい色のミカンを背景にポーズをとってくれた故N女史の笑顔が思い出されます。田代の台地に続く坂道の入口でこのミカン畑をもう一度振り返って暫し回想に耽ります。都会の生活からUターンして故郷の稲取に戻った幸せを彼女は話してくれました。
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