下田港と高根見帰地童 ― 2012/05/12
乳峰山から降り立ったお堂の名は「七面堂」。道中の無事に感謝して頭を垂れた後、石段を下ってゆくと、本覚寺本堂の横に出ました。
実はこの後、253mの三角点峰に登るつもりだったのですが、その気力は既になくなっていました。またの機会に譲るとして、今回は近くの了仙寺を訪ねることにしました。
立て看板によると、1854年3月に神奈川で日米和親条約が結ばれて下田と函館が開港され、来港したペリー一行の応接所となったのがこの了仙寺だということです。そして、同年5月に下田条約がこの了仙寺にて締結されたということです。
入口にある宝物館では当時の様子を描いたものや写真等が展示されており、特にそれらをまとめたビデオが参考になりました。
了仙寺を出ると、そのままペリーロードを経由してペリー艦隊来航記念碑に行き着きます。ペリーロードは川の両岸に小店が点在し、柳が枝を垂れた情緒たっぷりの散歩道です。
ペリー記念碑の前で遅い昼食を摂った後、記念碑の前でお地蔵さまにシキミ?を活けているオバサンがいたので、ちょっとお邪魔してみました。お地蔵様は「高根見帰地童」と手水石に掘られています。
オバサンは、このお地蔵さんは首が回るのよ、と言って実際に回してみてくれました。珍しいお地蔵さんですね。もっとも、3年前に新しく掘られたものだそうで、以前はどうだったのか訊いておかなかったのは迂闊でした。
オバサンの母上から聞いた話しとして、このお地蔵さんへのお礼参りに黒飴を供える風習があったそうですが、オバサンが幼少のころに病気をしたとき、母上がお地蔵さんにお祈りをし、回復したお礼として実際に黒飴を供えたということです。
高根山には醜いお地蔵様が沖行く船の遭難を救った、という話しが残っています。この地童像が下田湾に面した場所にあるのも、高根山との関係から興味深いことです。もっとも、こちらの方は美男でおわしますが。
さて、次にいよいよ犬走島を探訪します。(つづく)
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