白田探訪記 その1 ― 2013/09/07
歩いたことがない知らない道をゆくのは新鮮で、ドキドキした感じがたまらないものです。同じ道を往復する気にならないのは、たとえ知った道でも目の前が変わった同じような感覚を求めているからでしょう。
きのうは更に未知の枝道を発見して次回につなげることが出来ました。当分は片瀬・白田がテーマになりそうです。この地区も当然にも、稲取に負けない歴史を背負ってきています。きのう歩いただけでも、賽の神さまが要所、要所で道行く人を迎えてくれていました。
スタートは白田のバス停です。①~⑤の順で歩きました。③の温泉櫓は現役のようで、「伊豆源泉設備良寛の湯」の看板からするとここから温泉を各家、各施設へ配分しているのでしょう。後で、普応寺の手前の民家の脇に温泉櫓と汲み取りの為の機械を見ましたが、こんな風景を見るのも湯の町ならではに思えて、一度、運転しているところを見たいなどと勝手なことを考えたりします。
④から⑤への道は山側の平坦な道を行きます。間もなく山へ入る細い道(Ⓐ点)がありました。そして更に(Ⓒ点)まで来ると、進行方向斜めにやはり山側へ道が付いていました。そこを過ごしたところで農作業のオジサンに声をかけてみました。Ⓒからは福寿観音がある上の道に通じていると言います。でも、Ⓐ
は畑への道で上には通じていないと聞きました。
しかし、地図上では上の道までつながっています。多分、現在は畑の往復に使われるだけで、その先は歩かれていないため、不明瞭な道と化しているのでしょうか。いつか確認したい思います。
そしてこの風情のある落ち着いた山際の道にはやはり、賽の神さまに親しみを覚えます。何と、福々しく堂々とした恰幅でいらっしゃる!その胸に飛び込んでしまいたいと思うのは私だけではないでしょう。
ところで、普応寺の手前、高羽酒店の手前の三叉路ロータリーにも貫禄のある賽の神さまが鎮座([S]の地点)しており、この神さまは山側を向いていました。山側の道をずっと歩いてきた身からすれば、賽の神さまを右に正面から拝見できますが、北側には白田側の手前に2本の道があって、現在はメインになっているそちら側からすれば、神さまの背中をみることになります。
奇妙な感覚に捉われたのを、後に案内してくれた湯ヶ丘の区長さんの話では昔は道路の山側にあって東側を向いていたと言います。それが三叉路のロータリーに移されたとき、山側に向けられるようになったのだそうです。道路事情の変化に賽の神さまも腰を上げざるを得なかったということです。
そんな山際の道を味わいながら、いつの間にか普応寺に着きました。前庭が広く、入り口の左側に10基の石碑が並んで迎えてくれます。いくつかはお地蔵さまや馬頭観音の字が読めました。また、万霊等もありました。
この冬に白田側上流を歩いていたら、浄水場の先の枝沢で鉄砲打ちの仲間がシカの解体をしていたのを見る機会がありました。手際のよい処理にさすがはと感じ入ったものですが、一番左側にある「如是畜生發菩提心」と彫られた石柱はこの人たちの菩提心によるものではないかと想像します。本堂の扉を開けて賽銭を投げ、手を併せます。全体に粛然とした佇まいです。
入口の看板によると、昔は入澤山普門院と称して湯ヶ丘の入の沢(現在の大洞庵)にあったと書かれています。この大洞庵に石塔群があるそうで、次の標的、大洞庵をこれから探すことになります。
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