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白田の「矢射り石」 ― 2013/09/27
今朝は浅間山の尾根の白田側の斜面の偵察に出ました。いずれ、冬枯れの時期にでも風車の丘へ直登するつもりなので、その下見ということです。今日はその途中の、ある立札のお話しです。
白田海岸でバスを降り、東泉院の脇から坂を上がってゆくと、左の別荘地への分岐点に弘法堂があります。立札には2点の説明があり、ひとつは弘法堂で、もう一つが「矢射り石」の由来です。いずれも、他所から移されたと書かれていました。
丁度、草刈りをしていた方がいたので訊くと、弘法堂は清水の地にあったということで、その場所を教えてもらいました。磯辺の旧道上にあるらしい。もう一つの矢射り石は実はこの方の畑の中にあるということで、早速案内していただきました。
場所は石垣で築かれた畑の間の坂を上がって直ぐ左手で、入り口は更に坂を上った先ですが、そこまで行かず、左手の石垣をよじ登って畑に入ると直ぐに見つかりました。1メートル四方の石です。でも、表面は蔓草などで覆われてはっきりしません。
彼の話しでは、昭和53年の地震で傾いてしまい、そのままになっているとのこと。この場所からは防風林が遮らなければ、確かに白田の海に向って眺望が開けています。立札には、さる武人で弓矢の名人がこの石から海に向って矢を射たのが舟に届いたという。
子供だましのような話に聞こえますが、白田の人たちが伝えてきたのには何らかの由縁があったのでしょう。あるいは白田の海岸に昔、敵の船団が現れたのかも知れません。そこで、この見通しの良い場所から船に向って矢の雨を降らして撃退した・・・。
白田にお城があったとしたら、そんな話も現実味を帯びてまいります。なお、この「弘法堂、矢射り石」の立札は町の教育委員会ではなく、白田区が立てた札のようです。
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