<><><><><><><><><><><><><><><><><><>
もう一つの水車小屋の話 ― 2016/04/12
先日、奥様にお会いして、90歳になるご主人がその辺の事情を知っている可能性があると聞いて、本日お宅を訪ねてみました。その辺の事情とは大川端の水車小屋のことです。稲取大川の河口からの順番で先ず「ギンジロバンジョ」の水車、すぐその上に見高車、そして大田温泉があった辺りにもう一つ水車が回っていたという話。
ちょうど伐採した立ち木の周りでご主人SHさんが作業中でした。両手に余る外径のずいぶん立派なタブの木で、250年もの年輪の木だそうです。皮を剝いでしまえば、蝕まれる被害も少なくなるだろうということでした。
SHさんは16代目のご当主だそうですから、だいたい480年も前にご先祖さんが当地に住み着いたことになります。場所がこの近くの吉久保だったそうで、事情があって水下に転居したときは七軒家しかなかったと言いますから、稲取の創成期の頃の話です。現在の場所に戻ってから4代目がSHさんということです。耳に補聴器を付けていますが、頗るお元気な方です。
さて、大川端の水車小屋の二つは大体の様子について分かっておりましたが、3つ目は残された宿題でした。そしてきょう、やっとSHさんの話から済広寺所有の水車であることがわかりました。前の二つの水車にも負けない立派な茅葺の小屋で、中には4~5個の臼があって、バッタン、バッタンやっていたということでした。ただ、粉ひきはなく、精米だけでした。
この大川端の3つの水車はいずれも営業用で、賃料を払って使用していたということです。KHさんは籾殻を取り除いた玄米を持ち込んでいたそうです。彼がまだ小学校に入るか入る前の頃のことです。ですから、賃料がどのくらいか、搗きあがるのにどのくらいの時間がかかったかなどは覚えていないということでした。
それから、大川の水を引いて水車を回していたのはこの3つの小屋だけで、他にバッタリ式の個人用の精米機が国道の入谷橋の山側、今の変電所の所にあったというのは初耳です。バッタリ式というのは「添水唐臼(そうずからうす)」のことで、SHさんは“しょうず”と発音していました。
これはギッタンバッコン式のもので、片方の水受けに水が溜まるように設計され、溜まると重くなって沈んだところで反対側に付けられた杵が持ち上がり、同時に水受け側では水がこぼれ軽くなって持ち上がる。つまり、その反対側の杵が下にドスンと落ちるという仕組みです。入谷では土尻の水車小屋を除いて殆どが個人用のバッタリ式でした。
SHさんのお話によって、残された疑問が解けました。これでほぼいなとりの水車の全容が明らかになりました。彼は他にも“目からうろこ”のようなお話を聞かせていただきました。いずれまた披露したいと思います。
ちょうど伐採した立ち木の周りでご主人SHさんが作業中でした。両手に余る外径のずいぶん立派なタブの木で、250年もの年輪の木だそうです。皮を剝いでしまえば、蝕まれる被害も少なくなるだろうということでした。
SHさんは16代目のご当主だそうですから、だいたい480年も前にご先祖さんが当地に住み着いたことになります。場所がこの近くの吉久保だったそうで、事情があって水下に転居したときは七軒家しかなかったと言いますから、稲取の創成期の頃の話です。現在の場所に戻ってから4代目がSHさんということです。耳に補聴器を付けていますが、頗るお元気な方です。
さて、大川端の水車小屋の二つは大体の様子について分かっておりましたが、3つ目は残された宿題でした。そしてきょう、やっとSHさんの話から済広寺所有の水車であることがわかりました。前の二つの水車にも負けない立派な茅葺の小屋で、中には4~5個の臼があって、バッタン、バッタンやっていたということでした。ただ、粉ひきはなく、精米だけでした。
この大川端の3つの水車はいずれも営業用で、賃料を払って使用していたということです。KHさんは籾殻を取り除いた玄米を持ち込んでいたそうです。彼がまだ小学校に入るか入る前の頃のことです。ですから、賃料がどのくらいか、搗きあがるのにどのくらいの時間がかかったかなどは覚えていないということでした。
それから、大川の水を引いて水車を回していたのはこの3つの小屋だけで、他にバッタリ式の個人用の精米機が国道の入谷橋の山側、今の変電所の所にあったというのは初耳です。バッタリ式というのは「添水唐臼(そうずからうす)」のことで、SHさんは“しょうず”と発音していました。
これはギッタンバッコン式のもので、片方の水受けに水が溜まるように設計され、溜まると重くなって沈んだところで反対側に付けられた杵が持ち上がり、同時に水受け側では水がこぼれ軽くなって持ち上がる。つまり、その反対側の杵が下にドスンと落ちるという仕組みです。入谷では土尻の水車小屋を除いて殆どが個人用のバッタリ式でした。
SHさんのお話によって、残された疑問が解けました。これでほぼいなとりの水車の全容が明らかになりました。彼は他にも“目からうろこ”のようなお話を聞かせていただきました。いずれまた披露したいと思います。
最近のコメント