<><><><><><><><><><><><><><><><><><>

”長坂の石切り場”2016/04/19

吉久保道から入谷道につながる南南西の道には稲取港を見下ろせる眺めの良い場所(私のいわゆる「稲取アルプス」)がありますが、この道の西側に「茶ノ木畑」そして「角力塚」があります。この茶ノ木畑の一角に石切り場があったことはMさんがご自分のミカン畑に案内してくれて、私も「卍」印が彫られた大岩を直接拝見して承知しております。

山神社の飯盛山を起点に東に落ちる小尾根のわずか南側には、もう一つ僅かな高まりの“背”があります。その背と稲取アルプスの道と交わる辺りに前述の茶ノ木畑の石切り場があって、更にそこから東南東に少し下った所にも石切り場があった、とのお話を先日、Sさんから聞きました。

切り出された築城石用の石は大川に沿って、向井の畳石さんの前にあった小堤防から船で江戸城へと向かったということです。この“稲取アルプス”の下の石切り場を仮に長坂の石切り場と呼べば、当然にも茶ノ木畑のそれと一体となっている広い斜面が石切り場だったということになります。

Sさんもそこで卍印のある石を見たことがあります。長坂にあるSさんの畑からも石切りされた端石がゴロゴロしていました。しかも、この石は固い石で、包丁でスパッと切ったような表面だったそうです。今や築70年になるSさんの家の土台にもなっているとのこと。

残念ながら、この長坂の石切り場は現在跡形もなく、畑地になっています。