一日24時間を30時間に ― 2020/10/12
ーーーーーーーーブログ管理人 inada
はまべ荘 鈴木文雄 作
私は八十年の過去から現在までいろいろな経験を積んで生きてきたということを大事に、これから一日一日を過ごさなくてはならないと考えています。時間を止めることは出来なくても遅らせることは出来るはずだと思うのです。一年を三年あと戻りするように今から遅らせて生活すれば良いのではないか、それが長生きする秘訣ではないかと、そう思えば自然と長生きしたことになると思うようになりました。
人間年を重ねると、いろいろ考えて過ごさなければならない。人生、十人十色、人それぞれの考えがある。人の気持ちは完全には理解できない。でも、こんな自分が自分自身何に向かってどこへ行くのか、行くあてのない旅を続けるのか、そんな気持ちになるときがあります。
空は高くどこまでも高く、海は深く湖も深く底なしのように思えてなりません。人間信じるものは見えない。まるで宇宙を見ているようなものです。年をとったら大きな広い気持ちで毎日をすごすことだと、つくづく思うようになりました。
実はある作家からこんな話を聞いたことがあります。人間三回、人を助けると命が三度助かると。そういえば私も三度助けられました。一度は脳梗塞、二度目は心臓角膜欠損、そして三度目は糖尿病。その他にも海の中の事故、自動車事故等々。しかも、その都度運が良かったでは片付けられない、いろいろなことがありました。この作家が話したことがまんざらではないと思う節がいくらもありました。
その時、何故そう言う事態に遭遇したか、ということは時が経たなくてはわからない。遭遇したこと自体、今は過去のことである。従って、時間というのは運動なのかも知れないし、宇宙の法則、秩序からなっているのかも知れません。過ぎたことを思い出すことは出来ても元に戻すことは出来ない。待つことの出来るのは時間だけである。時間を大事にすることは、一日を二十四時間ではなく、三十時間に細かく区切って生活することも一つの考えである。浦島太郎にはなりたくない。
年をとるといろいろと考えるものである。あれは昭和六十二年の十二月、暮れの寒い日だった。義母が病院から退院して間がないというのに、体の状態が思わしくなく横浜の姉の近くにある病院で診てもらうため、朝早く車で義父と三人で出かけた。驚いたことに今思うと、稲取から横浜の家に二時間もかからずに着いたのです。
義母は私たち二人をよく面倒をみてくれ、ほんとうに有難く、今こうして旅館業が続けられるのも義母のお陰で、いつも心の中で思い忘れたことはありません。以前、義母が元気なころ、孫が「いつか死んだら、必ず出てきてね、おばあちゃん」と言ったら、義母が「おう、出て来るヨ」と応じました。でも、未だに出てきたことはありません。きっと、いい所に逝ったので忘れてしまったのかも知れません。義母のことを想うと、思えば思うほど色々なことが浮かんできます。私が家内と一緒になれたのもこの人のお陰です。思えば、人のため人のため、といつも気にかけている義母でした。(つづく)

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