<><><><><><><><><><><><><><><><><><>
”緑なりき” ― 2026/02/03
17年前に千葉から伊豆に移住して、稲取入谷に”わが谷は緑なりき”を見つけることが出来たのは精神の安定を得る上で大きな意味を持っています。ここに最後の根を張ることが出来るかも知れないと感じたのです。
今朝は雑用を片付けてから午後になって”緑なりき”を目指したのがいけなかった。あれほど青空だったのに、山の手は殆ど雲に覆われていました。それでも時々日が差していたのに救われました。
”わが谷”の撮影は山の上から下へとねらってみようと、先ずは大長坂から栄昌院経由で入谷道を山神社先のJA倉庫まで上り、ここで休憩した後、稲取アルプスを歩くことに決めました。
「稲取ふれあいの森」のランドマークが今回のオープニングです。
田代の台地に上がるまでは急坂に喘ぎます。ミカン畑のウメが満開でした。
続いて天城・入谷道の美しい石積みの壁を見ながら山神社先のJA倉庫に到着。
休憩後、少し戻って”稲取アルプス”に入りました。
伊豆大島が少し霞んでいます。
吉窪道に出る手前で”柚久保のみよ”を仰ぎます。”わが谷”はこの山裾にあります。
さあ、吉窪道に入りました。青い海と”わが谷”です!
これぞ、わが谷!
谷へ入ってみます!
ペンション{壬生の庄」と、背後に新鉄塔3号基
はて、これは何でしょう? 暫く休耕地の状態でしたが。
帰り道。”緑なりき”はまだまだ続きます。Ⅴ字谷の頂点に”壬生の庄”があり、この建物の裏側に”ひらなみHW”があって、更にその裏に新道が開通しました。
この谷間にはミカン畑が上から下まであったのですが、数年前に休眠状態となりました。それが最近また新しい動きが出てきました。また将来だいだい色で埋め尽くされるのでしょうか?
マップの「よしくぼ道」から谷により近づいて、更に右回りに下りて行くと、伊豆大島や旧一望閣の前に出ます。
背後の山がバリカン山(柚久保のみよ)です。旧一望閣の周りも奇麗に整備されました。いつ営業が開始されるのでしょうかね。
続いて、稲取大川の橋を渡ると”中川の畑”です。ここで数多くの農家の方と長きに渡ってお近づきを得ました。私にとって貴重な有難い出会いでした。
”故郷の緑なりき”は次世代に引き継がれています。後々までも永遠なれ!
と、願ってこの稿を終えます。
浅間山に登る ― 2026/02/01
早いもので、私どもは”ツイノスミカ”に稲取を選んで17回目のお正月を迎えました。そして今日から2月です。遅まきながら、浅間山の初詣に行ってまいりました。暫くぶりです。
バスは終点のアニマルキングダムで降り、ゴルフ場への坂道を上ってゆきます。上の写真は動物のエリアから遊具エリアへ向かう橋です。この下をくぐり、振り返って撮りました。
そして、”ヤマハンノキハイウェー”(細野高原に通じる)を左に別ける所まで来ました。
サルに似た顔の木は何でしょうか?後ろの杉の仲間とは別の木ですが。
直進の道左側にはオオシマサクラがズラリと並んで、遅咲きでも開花したら素晴らしいサクラ街道になります。一方、こちらの細野への道はヤマハンノキならぬ、ヤシャブシ街道です。この時季は黒い小さな実を付けています。
直進の道にはカラタチの木が幾本かあります。今は幹や枝が生気の無い色から薄っすらとした緑色に変わろうとしていました。秋には”まろいまろい金の玉”を付けます。
さあ、前方が開けました。いつの間にか、巨大な鉄塔が立ちました!
相変わらず、美しいフェアウェー
これはまた何の工事かな?電線を地下に埋める?右側には電柱が並び過ぎている?
浅間山へユーターンする道に入りました。この道にも、かつてより多くの電柱が設置されました。巨大な送電線鉄塔が立っているのと無縁ではないような気がします。これから上がる浅間山の東側尾根の巨大風車とも無関係ではないような気もします。
山頂直下までの間に天城山の好展望が得られる場所があります。
戸塚尾根を追って天城山脈に上がったルートが懐かしい。
山頂直下に着いたら、長い石段を上って山頂の祠に挨拶です。
夏の午前中にお出ましになった”おキツネ”さまは今は昔となりました。
浅間山頂の肩とも云える展望台から迫力ある新風車が!
白田川にかかる赤川橋付近を遠望
山頂から続く尾根を追って山腹の岩祠に向かいます。
御覧の通り、見事に修復された石段を下ります。
お久しぶりです。今年もよろしくお願いいたします!
祠から石段に戻って風車3基をパチリ。おや、グライーダー基地が無くなってますね!
こうして”ふるさと”が遠ざかってゆくのですね。
ひらなみHWから志津摩へ ― 2026/01/29
今朝は殆ど無風状態でした。出かけない手はありません。早速ゴーです。
最近の事例にある通り、出発はミカンワイナリ前からです。そうです、ヨカサカ柚久保道を行きます。その後、”荒巻”から久しぶりに志津摩へ足を延ばしてみました。
マピオンの「キョリ測」によると、この日に歩いた距離は7,172m。オニギリ2個分だそうです。
さて、先ずは柚久保道に入りクロカンコースの手前、芝生の広場に隣接した所で小さな白い実を付けている木が目に入りました。百日紅のような実です。ただし、木肌がスベスベしておりません。お馴染みの木だったのに、名前が出てきません。帰宅して調べたら、白檀、”センダンは双葉より芳し”の、あのセンダンでした。摺りつぶすと白い粉になる。残念ながら、私には香りが届きません。耳が遠くなって嗅覚もききません。
緩い坂を上りきると、前方に”おおみよ”の尾根、そして三筋山。たびたびあの尾根を歩いた思い出がある。中でも仲間と歩いたとき、消火用(?)の水桶に片脚を突っ込んでしまったことは鮮明に覚えています。当時、案内役でしたからね。一人歩きの方が多かった昔の話ですが。
尾根には河津の風車が並びます。
”ひらなみ”に来ると、路傍に軽4輪車数台留まっていました。何があるのかなと思ったら、一台の乗用車の看板に地籍調査云々の文字がありました。多分、所有者のIN園芸さんでその調査が必要になったのでしょう。町役場の車も2台ありました。
そして坂を上がり切ると、”おおぶら”峠です。
休憩がてら、爪木崎方面を暫く遠望します。
ここでマップの中身を紹介します。
A~Bがヨカサカ柚久保道、Bで入谷天城道に到着。山神社手前のCがJA倉庫で旧道に入り、大久保橋を渡って農免道路を横断し、開拓地”あらまき”の園芸ハウス群に下ります。ここでご婦人が”露地”の畑で作物の手入れをしていましたので少しお邪魔しました。実はこの方にお会いするのは二度目で、既に見高入谷の畑でご主人と一緒に作業中にお会いしていたのです。しかも、本日柚久保道の大洞峠でハウスの前にご主人の乗る軽トラが停車しているのを見てきました。彼女は単車でここへ来たようです。
北側から見た”あらまき”↑と、南側から見た浅間山・風車尾根 ↓
さて、いい加減で邪魔を詫びて次はE~Fと来て志津摩に下りました。ここでも運よく知り合いのご隠居さんご夫婦にお会い出来ました。おわり(も)良ければ全てよし!幸せな一日でした。
ヤマハンノキHWを行く ― 2026/01/12
久しぶりのヤマハンノキHW.
いつものようにアニマルキングダムからスタート。稲取ゴルフクラブへの道から分かれて”ハイウェイ”に入る。ここまでの急坂をクリアしてホッとする。頭上は相変わらず冬枯れのヤシャブシ。その黒い実が青天に映えてまぶしい。
そして坂を一つクリアして下ると、サンゴ樹。
この時季、赤い実はないが、照葉樹の貫禄充分。
更に進むと、メタセコイアだ。
裏側にも計5本もある。”生きている化石”はこんなところにも。
次に控えしはセイタカのっぽのユーカリの木。
伊豆に来て17年目に入って尚、この”先輩”は衰えを知らない。時々脱ぎ捨てた”ころも”をその足元に見るのみ。
次のお楽しみはツチアケビ。
残念ながら、幹が2本見つかったのと、萎びた”ソーセージ”一つだけ。
今年も開花は無理かも。従って、あの”ソーセージ”も。
白田の硫黄坑跡探訪 ― 2025/12/15
先週は白田の硫黄坑址を訪ねました。実は、今年春ごろでしたか、友人と車止めまで車で一度、向かったことがあります。この時は、他の訪問が優先で、結局、時間切れで現場訪問を諦めたのでした。
白田の硫黄坑については、江戸時代(元禄)から明治初期にかけてその坑道が掘削され、その後、公害訴訟にいたるまで長い歴史がありました。私の中学時代(1947, 8年頃)、社会科の教科書に足尾銅山の鉱毒事件が載っていたのを覚えています。日本最初の鉱毒事件として学習しました。
しかし、この足尾銅山の公害事件は明治初期の頃です。一方、我が白田の公害訴訟は1701年からで、江戸時代の元禄期です。しかも、19世紀の末に至るまで実に180年もの長い間、続いたということです。
そんなわけでどうしても一度は現場に立ちたいと、長年の宿題になっていました。このほど友人の車に便乗して現場を訪れる機会を得ました。 (つづく)























































最近のコメント