<><><><><><><><><><><><><><><><><><>

釜めし さいかわ2015/08/11

志津摩の「釜めし さいかわ」が店舗を閉めたと聞いたのは去年のことでした。朝の散歩で志津摩にまわったときに、お店の扉に店仕舞いの書付けが遠目に見えて、ちょっと立ち寄ったところ、たまたまご夫婦にお目にかかり、店仕舞いのご挨拶を受けたのでした。

今朝はそのご主人に水乗りの親水広場でお会いしました。汗を拭っておられた体には腰の部分にコルセットが覗いています。聞けば、腰を捻って、どうやらその関節がずれてしまったようです。いつもは大勢の仲間と散歩を共にしているのだが、医者に無理するなと言われて今は気ままに歩いているという。

私は最初、何処の方かと思っていたのが、実は志津摩で食堂を営んでいたと聞いて、去年のことを思い出したのです。私にとっては奇遇でした。彼は昭和11年生れ。もう体の自由が利かなくなりつつあるという自覚から、立地条件の悪くない店を敢えて閉めることにしたということでした。

彼は根っからの稲取人ではなく、伊東の生まれです。戦時中や戦争直後の街の様子を肌で感じ取っていました。伊東は全国でも有数なリゾート。川奈ホテルは米軍に接収されました。しかし、他のホテル旅館は殆どが解放されて、疎開してきた子どもたちでいっぱいだったそうです。しかも、食料難でみんな空き腹を抱えていた。

当時の同級生仲間によって毎年開かれていた同窓会が、2,3年前に打ち切りになったとき、その最後の集まりで先生のひとりがある秘密を打ち明けてくれました。終戦当時の生徒の中に東条英機の孫が二人在籍していたという。このことは当時、絶対の秘密として話が出来なかったということでした。さすが、一級の保養地です。いろんな人がいたのですね。

昔の話をさりげなく語る彼の表情からは、職人人生を歩んで成功したゆるぎない自信が読み取れました。数人のお仲間が戻ってきたところで、腰をあげました。残念ながら、話の続きはまた伺うことにしてお別れです。