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”バリカン山”へ2012/04/07


「道はあるよ、あるけど、倒木なんかでボサボサだから今は行けないよ」


吾妻権現神社の鳥居の手前に猪小屋があり、その手前の畑で二人のオジサンが作業中でした。“みずのり”へ行く昔の道を訊くと、鳥居から左へ行き、涸れ沢を渡ったら左へ右への九十九折の道だと教えてくれました。

猪小屋

<檻の中には猪が4頭いました> 


<鳥居の左、茶色の看板の裏を行きます>

<上に大きな堰堤が見えてきます>

「みずのりは昔は小学生が遠足で行ったもんで、中学になるとオキノハラだね」


オキノハラの場所を訊くと、今のアニマルキングダム一帯だと言います。そして、浅間山の西の裾、ゴルフ場の池がある平らな所を“セーリの平(背入りの平?)”と言い、そこに競馬場があったとのこと。
 


しかし、金指さんの「稲取風土記」によると、昔のある帳簿に「水乗り競馬のはな」という記載があるとかで、水乗り平に競馬場があったと断定しています。実はその辺を訊いたのですが、セーリの平にもあったという話しだったのか、それとも水乗り平ではなく、セーリの平にあったという話しだったのか、残念ながら今覚えていません。どうも最近集中力が無くなって困ります。
 


「この上に“ばくちの穴”というのがあるんだ」


おやおや、とんだ話が出てきました。場所はこの涸れ沢の大きな堰堤の上にあるそうです。きょうはコースが違いますので、またの機会に訪ねてみましょう。
 


「稲取の人はね、やれ競馬だ、やればくちだで、賭け事が好きだったんだよ」


まだ80前と思われるふたりのオジサンは笑って言いましたが、競馬場は“長野平”にも、鉢の山にもあったそうですから、娯楽の少ない当時ではひと時のなぐさみになっていたのでしょう。
 


さて、とにかく鳥居の左から入ってみることにしました。間もなく上にコンクリートの堰堤が見えてきて、涸れ沢に出ると岩ゴロに何かの導管が渡されています。ここを渡って急な斜面に取り付きました。かすかに踏み跡があります。


踏み跡は左の方から上へ巻いて続いています。間もなく下の畑から掘割りのような抉れた広い道が上がってきて、これがこの上にある7号鉄塔への案内標柱の脇へ続く道のように思われました。ただし、やはり、木の枝がかぶさったり倒木があったりで、そこを行くのは容易ではなさそうです。


上を見上げると、急斜面ではあるが足元に邪魔になるものはないので直上は可能です。でも、かすかな踏み跡が掘割りの真上にほぼ併行して続いているのでこれに従うことにしました。

 


<青色のPPテープ>


やがて見覚えのある7号鉄塔案内標柱が見えてきました。ここから先は掘割りを行き、暫くして6号鉄塔に到着しました。この鉄塔も7号と同じく昭和36年10月の刻印がしてあり、高さは23m でした。


ここからは破れ小屋の前を通って水生の庄の前に出、5号鉄塔に上がりました。
(続く)