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大峰山~三筋山2012/11/07

先日(11月2日)歩いた大峰山~三筋山~八丁池口のうちの三筋山までの写真をご覧いただきます。(三筋山山頂でカメラの電池が切れてしまったものですから)

大久保橋を渡って大峰山の麓をゆきます。先ずは牛馬慰霊塔が迎えてくれます。入谷の田畑で活躍した牛馬に手を併せます。

慰霊碑の少し上部に防火帯の先端が落ち込んだところがあり、そこが取りつき点です。きつい登りが始まります。そして這い上がって緩やかになった地点から振り返ります。海上に大島がうっすらと浮かんでいます。山神社が稲取港を見下ろす好位置に。D尻さんのハウスが真ん中やや左に、やや右がK場さんのかな?

防火帯をだいぶ上がってきました。利島、新島、そして式根島もうっすらと。

防火帯の焼けた跡が生々しい。

大峰山の稜線上の最高地点から天城連山と細野高原。絶景!一級品です。整備された駐車場もゴルフ場の下に見えます。


防火帯を三筋山頂上までたどります。

真ん中に茶色っぽく横に細く見えるのが芝原湿原。東屋がちょこんと見えます。ススキが刈り取られた部分はまるで田圃の稲刈り後のようです。こんなに美しい光景はこの4年間では初めてです。

駐車場の真上に来ました。きれいなトイレが出来て良かったですね。

ややッ、異なものが! この白いのはコンクリートの道です。細野高原を横断しています。この道は昔からあったようで、このまま左の河津側に抜けています。ただし、河津側へは現在バリケードがあって入れません。

三筋山の頂きに一番近い駐車場へと向かう舗装道路に這い上がりました。来し方を振り返ります。現在立っているこの辺りを“大段”というのでしょうか?画面中ほどに先ほどのコンクリート舗装道路が「くの字」に光って見えます。

電池切れ最後の写真は手振れ・・・トホホ。

オリーブの栽培2012/11/09

オリーブの実
徳造丸の会長さんの畑にはその一画にオリーブ畑があり、今は収穫の時期を迎えています。ちょうど採り集めた実を見せてもらいました。赤黒い豆がぎっしり箱に詰まっています。

「一粒かじってみな」というので、試してみると渋みや苦味は殆どありません。その代り甘くもショッパクもなく、あのドロっとした舌触りがまろやかでジューシーな味わいです。

奥様の話しでは緑の粒は塩づけに、つまりピクルスにし、赤黒く熟れた実はバージンオイルに精製するのだそうです。シロップに漬けるのも良いとのこと。

最近、わが家ではオリーブ茶がなくてはならないものとなっています。その抑えた渋み苦味がほどよく、後味が良いからです。コレステロールや高血圧に良いと聞けば尚更に健康茶を飲んだという意識が持てるのです。

オリーブの栽培と言えば日本では小豆島ですね。最近どこかで見たような気がしますが、ここ伊豆稲取ではあまり聞いたことがありません。地中海性気候がオリーブを生み育て、日本では小豆島で栽培に成功したということで、温暖な伊豆でも可能性は広がっています。徳造丸さんの試みが成功するといいですね。

愛宕山裏の石丁場2012/11/10


この刻印は?


稲取の数か所ある石丁場のうち、茶ノ木畑で徳島藩の家紋印がある石を先日見てきましたが、愛宕山裏にはもっと大規模な石切り場があると聞いて本日探検して参りました。
 


町道アラコ線の石井鉄工所前にある貯水槽の脇から山へ道が通じていると言う話は、以前、アラコ線が現在の姿になる前は一部迂回するような形でその道をたどってアラコ線に出たと聞いていました。その部分が崩れた場所だったからでしょう。それが証拠に“崩れ山”という字名がついています。
 


しかし、その古い道は現在は使われていないから道が残っているかどうかわからないと言います。そこで貯水槽の前を通り過ぎて道が右へ回り込んだ先に、石垣に沿って斜めに北方向に踏み跡があるのを前から知っていましたので、この踏み跡を追うことにしました。
 


ミツバチの小箱が置いてある所を上がると、そこにはミカン畑が幾段にも広がって上に(西へ)続いています。ただし、ミカンの実がついてないのを見ると、未だ若木なのかも知れません。或いは全体に手が入ってないような雰囲気も感じられました。
 


とにかく、ミカン畑を這い上がって高みを目指します。ミカン畑が切れた上部は藪や立木の枝を掻い潜るようにして前進。間もなく立木を透かして前方に空が見えてきました。そして、緩やかな台地に上がった所は多分標高100mの辺りでしょう。
 


ヤブを分けてゆくと、荒れ朽ちたトタン屋根の小屋が前方に。そして大岩が幾つか現れました。東海自動車バス営業所の隣の白い変電所が木の間から見えます。ふと、白く細いロープが目に入りました。北から北東の方角に下りています。
 


取りあえず、これに従って下ってゆくと、何と、大岩の足下に古い木段が落ち葉の中から覗いているではありませんか! 今降りてきた反対に上部へ、東寄りに続いています。あらためてこれに従って上ってゆくと、ついに畳石が目に入りました。完成品があるということはここが石丁場なのです。万歳!

 



この場所はほんのわずかな平坦地で、周りには矢割りの跡がついた石が幾つも転がっていました。刻印がないか調べてみましたが、門外漢には読み取れるような印は見つかりませんでした。しかし、生々しい感じの石切りの現場跡に立って感無量です。当時から少なくとも300年も経ったあとに今私が立っているのですから。


撮影を済ませてから木段と白い紐を追って下ります。竹林が見えてくると、出口は近いと思われました。そして、更に東へ延びている明らかな道がまた上に向っているので、これ追うと、もう一つの石切り場と思われる場所に出ました。大岩がやはりゴロゴロしています。周りには伐採して短く切られた木が丁寧に積み上げられていました。


これにて探索は終りにして竹林に降りると、道は何と鉄工所の前に出たではありませんか! まあ、多少なりとも苦労して探し当てたのですから、これで良しとしましょう。


ポットホール2012/11/11

「東伊豆生活」さんの今年121日のブログにポットホールが紹介されていました。

http://blog.naoshi.main.jp/?eid=204 


ポットホール?


ポットホールとは辞書を引くと、甌穴とか、洞窟、路面の窪みのことで、更にウイキペディアでは「甌穴(おうけつ、かめあな)とは河底や河岸の岩石面上にできる円形の穴。ポットホール(pot hole)、またはかめ穴ともいう」 また、海辺では波の浸食作用によって出来たものを海蝕甌穴というそうです。
 


実は稲取岬の磯に昔から“はなれ”と呼ばれた場所があって、地元の人や釣り人たちによって愛されてきたことはここで今更言うまでもありませんが、その“はなれ”にポットホールと呼んでも良いような岩があります。


“はなれ”は立野から南に海へ突き出た小尾根が崩れて出来た岩礁で、海が時化てなければ、先端まで飛び石(岩)で渡ることが出来ます。この先端の岩の陰にある穴を前から不思議なものに思っていました。

 


大きなすりこぎのような石が穴の中にうまく入り込んだものですが、穴の中には他に先客の丸まった石がありますので、それがある程度まで穴を作った後に、この大きなすりこぎ棒が飛び込んできたとも考えられます。ヤドカリが見つけた貝殻には先客があった!
 


現在すりこぎ棒のようなものが短くなって球形になるまで、あと何年かかりますかね?きっと、百年以上はかかるんじゃないでしょうか。


余生を楽しむ2012/11/14


散歩に出ると、いろいろな人にお会いします。仕事中の人はもとより、買い物に出て来た人、同じように散歩する人など。中でも、散歩する人にはいろいろなタイプがあります。犬連れでのんびり歩く人、両手を大きく振ってウォーキングする人、仲間とおしゃべりを楽しみながら歩く人など、人さまざまです。
 


犬連れで散歩する人の中にここ半年ほど姿が見えない人がいました。その方に今日は偶然お会いして、旧交を温めることが出来たのは幸せでした。農免道路を見高入谷高原温泉方面へと歩いていたら、後ろから来た車が止まったのです。
 


この方がこの近くに山林を購入したと言う話しは、もう一年も前に聞きました。当時、不動産会社から勧められて、何するとは無しに買ったのだと言っていました。ところが今日現地へ案内してもらうと、立派に整備が進んでいるではありませんか。この半年ほどの間、一人でコツコツと仕事を続けていたらしい。


山林は道路に面した斜面で、もともと手前の部分だけ段々畑だった形跡があります。周りの石垣や進入路は業者に依頼しましたが、それ以外の無用な立木を切ったり、石段を作ったりの土木仕事は容易ではありません。
 


勿論、過去にこのような経験はなく、道具類はすべて新調したそうです。使い古したチェンソーは今は5台目で、現場には他に一輪の土木運搬車が置かれています。
 


上で細かく切った材木や枝を下へ運ぶのに20回も往復し、翌日体の節々が痛くて動けなかったのは初体験とのこと。とにかく、一人で作業したというから驚きです。先年、大腸ガンを患い入退院を繰り返した人とはとても思えません。


300坪弱の土地とはいえ、傾斜地にはクヌギやナラ、そして竹林が後ろに控えています。ある程度整備が進んだ今は全体に明るくなったと言います。
 


稲取には確か5年ほど前に移住してきて余生を楽しむ72,3歳と言えば、まだまだ体は充分に動きます。ここを公園みたいなものにしたい、そして、ツリーハウスなども考えている言い、夢は膨らんでいるようです。当分の間、打ち込める目標を掴んだこの人は病気とは無縁になったようです。