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江戸時代の句会2023/07/04

いつもの如く急に今井浜を訪ねたくなり、稲取駅9時37分発に乗って現地へ。目的は今井浜病院の外観だけの写真です。あと半月余り待てば今月の診療予約日なのに思い立ったら気が済まない性分で、とにかくゴー!というわけです。ちなみに只今編集中の作業に必要な写真の一部なのです。そして、写真ナンゾハすぐに終わって、さて、そのまま帰るのはもったいない。実は、電車の中で考えたのが峠を越えて歩いて帰ること。そして、この帰りはナント“吉”と出たのであります。 

先ずは伊豆急行線今井浜駅から“東浦路”を行きます。左右に民宿などがある狭い坂道を上がったところで、左側の山際に石碑のようなものが目に留まったのです。確か、あれは“句碑”のはず。早速、広い駐車場から石段を上がりました。この石段はゴー・ストップになっていまして、失礼してここをクリアいたしました。石碑は大小二つあり、大きい方に文字が刻まれていました。でも崩し字や欠損で全く読めません。小さい方の石碑は文字そのものが形跡を無くしていました。

 石碑の隣の坂下が100坪くらいの墓地になっており、墓石が並んでいる傍で草むしりをしていた方がいたので声をかけました。するとわざわざ石碑まで上って来て私の質問に答えてくれました。未だ60才前後の若い男性です。ひとまずこの石碑が句碑であることを確認したあと、この墓地の隣にお堂があり、そこで句会をしていたといいます。その後、このお堂(全乗寺)は廃されて近くのお寺(真乗寺)に吸収された(?)ような話でした。詳しい話は真乗寺のご住職に聞くと良い、と教えてくれました。

幸先良いスタートです。伊豆の賀茂地区は句会が盛んだったことを思いだしたのです。稲取でも長坂の終点、入谷道に交わるところ(いわゆる”スクモヅカ”)、そして志津摩の一角(東浦路・・・今は民家の庭先)の二カ所に確認しています。河津から松崎街道に入った所のお寺か神社かでも、句会を催した額を見たことがあります。 

当時、賀茂地区の句会についてもう少し掘り下げるべきだったかなと今改めて思っています。 つづく