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西山五郎医師と不動明王2023/07/05

           琴海神社の杜

句碑から細い坂道を数歩下って公民館の裏を覗くとお堂がありました。正面奥に小さな仏像が安置されています。大日如来坐像でしょうか。その後、バス通りを進みます。右手にこんもりとした崖上の森がいかにも特徴ある形を見せています。裏側に廻るとベンチが置いてある先に参道がありました。立派な鳥居の前方に石段が高く続いています。「琴海神社」でした。折角ですから参拝してきました。

 


             真乗寺

さあ、お寺さんを探します。以前、見高神社に詣でた時にお寺さんの石垣沿いを歩いた覚えがあります。小川の橋を渡って小路を回り込み、うまく境内に辿りつきました。先客が何やら用を済ませた後、ご住職に面会を申し込み、お堂の中に誘導されてお話をいただく栄誉を得ました。ご住職はカラフルな衣装を身に付け、回向を済ませたばかりと見える正装でした。 

さっそく、見高浜の句碑について伺ったところ、「河津の文化史」を幾冊か持ち出して来て説明してくれます。私が見て来た公民館裏の句碑は3基あって、そのうちの一つが、「八正の道 速曽 月の旅  樵里」のようです。仏教の「八正」とは涅槃に至る八つの実践徳目(正見、正思惟、正語、正定・・・など)だそうです。従って、涅槃への道(解脱)は月への旅のように簡単には得られない遠い遠い遥かなる道程だ、と言うような意味でしょう。先ほど見て来た句碑は2基ですが、この本では3基を確認しています。壊れて撤去した可能性があります。 

河津の文化史の本には河津浜の海苑前にも3基ある由。そういえば、称念寺からトンネル前の駐車場へ出るのに海苑ホテルの前の小道を歩いた時に石碑群を見たことがありました。あそこにも句碑があったのですね。その他、田中や筏場など計7カ所にも句碑があるそうです。ご住職はコピーの労まで取ってくれました。感謝! 

句碑のお話の流れの中で全乗寺が廃寺となった経緯については、うっかりしてご住職にお伺いするのを忘れてしまいました。それから、稲取の郷土の偉人、西山五郎医師のお話がありました。そのなかで西山医師が或る方の命を救ったことで、その知人の彫師の作品である不動明王を贈られ西山家累代の家宝となっていたのを、西山家の子孫が絶えるにあたって稲取の教育委員会にその家宝等の保存を持ち掛けたところ、にべもない返事で、結局、このお寺で保護することになった経緯を話してくれました。稲取の偉人に対して、その稲取の教育委員会の対応が冷たすぎると、ご住職は嘆いておられました。私自身も耳を疑ったほどです。不動明王は本堂の正面に立っていました。それと西山夫妻の写真が額に収められて飾ってありました。かくして、西山五郎医師と河津の真乗寺との関係の一端を知ることが出来、ご住職に感謝の気持ちでいっぱいです。感謝多々!

                   西山五郎村医ご夫妻